俺と愚弟と賭博場

うっかり勝負師になりかけるそんな俺たちのカンケイ



何とも天気が素晴らしい日だ。
こんな日に室内で鬱々と本を読むのは寿命の無駄遣いだ。

は早々に読書をやめると、機嫌よく自室に戻った。
今着ているお手製の洋服を脱ぎ捨て、この国の服を引っ張り出す。
邸にいる限り、洋服を好むはあまり家人が用意したものを着ない。
郷に入れば郷に従えというが、機能性の方が重視だ。

久しぶりに身に着けていると、扉が勝手に開かれた。

「どういう心境の変化だ?愚兄その五」
「変化も何も、街に行くのにあれじゃあ目立つだろうが。愚弟」

藍龍蓮。
まだついこの間こいつにつけられた名前だ。
こいつがさっさと生まれてくれば俺は何時までもランランなんて呼ばれなかったのに、と理不尽な事を考えること多々あり。

「む。私は愚弟ではないぞ」
「あのな、どんだけ頭よかろうが高学歴だろうが、道理の通じない仕事のできない奴をそう呼ぶんだ、覚えとけ」

こいつは入社試験は満点でも、面接で「お願いですからウチ以外の会社にいぃ!」って土下座されて終わる。
そしていろんな社のブラックリストに乗りまくる。

ばたばたと慌ただしく用意をしている兄の背を龍蓮はじっと見つめた。
その視線に気付いて振り向いたは数秒黙った後、ため息をついた。

「『僕も行きたいです、連れて行って下さい、お兄様』だろうが。ほら、言ってみろ」
「うむ。私も同行する。連れていけ。愚兄」
「俺の台詞がそう聞こえたなら一回耳鼻科行ってこい」

額に青筋を浮かべて言っただったが、自分の支度を終えると龍蓮にも身支度させる。

「結構歩くから靴は足に合ったの履いてけよ。ああ、荷物は俺が持つからお前は手ぶらでいいぞ」

何やかんや世話を焼いているはお兄ちゃんだ。
八歳と四歳の兄弟は仲良く手を繋いで藍家本邸を後にした。

「まったく。景色はいいが、何だって山の上なんぞに家を建てるかね」

直系しか、しかも夏しか住まない龍眠山の邸。(というか冬は雪だらけで住めたもんじゃない)
もうすぐ夏も終わるので近く湖海城に戻る予定だが、不便さ故に何度この山に来るのを拒んだことか。

何年か前、自分は湖海城に残る!と言い張った時の事は覚えている。

『そんなこと』
『許すわけ』
『ないじゃない』
『『『ねえ?』』』

結局あの手この手で説き伏せられて、気付いた時には頷いてしまっていた。

今思い出しても腹が立つ。
人生経験は自分の方が上なのに、何故だか三つ子には一枚上をいかれる。
きっとアレだ、俺は性格の良さが災いしているんだ、と何度も言い訳がましく自分に言い聞かせた。


龍蓮が一緒だからって、目的地を変えてやる義理はない。
はまだ日が高い内に、賭場の門をぐぐった。

「何だぁ?ガキが来るところじゃねぇぞ」

入り口を通ってすぐ、ガタイのいい男が二人の進路を阻むように立ちふさがった。
くい、と視線をあげたと龍蓮の瞳に怯えた色はない。
むしろは、「うわぁ、頭悪そー」と小さく呟いてしまったほどだった。

幸か不幸か、その言葉を聞き取ることが出来なかった男は、二人の襟首を掴んでつまみ出そうとする。

「ちょーっと待った。おじさん。俺らは客だぜ。この賭場に博打しに来てんだ。金落としてやる大事な客なんだから、丁重に扱えよ」
「だからガキの来るところじゃねぇって」
「ならどっかに十八歳未満お断り、ってでっかく書いとけ。そしたら年齢詐称して入ってやるよ」
「どのみち入るんじゃねえか!」

ノリよく突っ込んでくれた男は悪い奴ではないんだろう。
身なりのいい子供二人がこんな下町にふらふら入ってきたら、いかに治安のいい藍州とはいえ裸に剥かれるのがオチだ。
それを親切にも忠告してくれているのだ。

ありがたいが、こっちにも都合というものがある。

「まぁ、落ち着け、おじさん。こっちもカモにされるのを覚悟で来てんだ。剥かれたって文句は言わねえ。まぁ、実際に博打すんのは俺だけだが、後ろの弟は見学だけだ。そっちは勘弁してくれよ」
「…………弟?どこにいるんだ?」

男がの後ろに視線を投げて首を傾げるのにつられて、も後ろを振り向いた。
つい先ほどまで自分と並んで立っていたはずの龍蓮がいない。

「りゅうぅれえぇん――――っっ!?」

はぐれたか。
攫われたか。
こんな下町ではぐれたら一生見つからないかもしれない。
馬鹿じゃないが頓珍漢なあいつはのこのこついていくかもしれない。
影を動かしてまで探させようとした時に、賭場の中から驚きの声が上がった。

「おい!お前、何処から入ってきたんだ?」

が男の体を押しのけて中に飛び込むと、賭場の席にちょこんと座っている龍蓮がいた。
はーっと脱力したはずんずんと進んでいくと、龍蓮を抱きあげて自分が席に座り、向かい合うように膝に乗せた。

「おいこら、勝手に行くとはいい度胸だな、クソガキ」
「ふ。愚兄が時を無駄にしているのに付き合う謂れはないな」」

は色々と突き抜けて、無言で龍蓮のこめかみに拳を押しつけてぐりぐりやった。
生理的な現象で涙を滲ませた龍蓮を床におろし、椅子の上で堂々と膝を組む。

「おのれ愚兄。すぐ暴挙に及ぶとはなんと風流でない」
「黙ってろ」

もう知らねー。
何だって自分の弟はこんなネジが一本どころか、一本残して全部ぶっ飛んだ奴なんだ。

「おい、坊主。そこは俺の席だぜ。まだ勝負中だ」

叱るでもない声が上からかけられて、視線をあげると、碧を基調とした衣を着た男がこちらを見下ろしていた。
碧家、しかも直系。
さっと藍家の顔になったを見て、床に立つ龍蓮を見て、青年は唇を緩めた。

「龍が鳴くと思ったら」

口を開いて言葉をつづけようとした青年の肩に、賭場の男たちの手が触れる。

「碧の旦那」
「あんたが前借りしてやった分の博打、あんたが手持ちの楽器一つ売りゃあ簡単に返せまさぁ。どうです、これ以上はやめにしませんか」
「断る。博打は俺の遊びで、楽器は仕事だ。混同させるつもりはない。勝つまでやるぞ。それに――――もう、一つは引き取り手が見つかった」

意味深な笑みを浮かべて、龍蓮を見下ろす青年は床に置いた大量の荷物の中から、細長い包みを取り出した。

「さて、呼んでいたのはどっちだ?」

包みから開いて現れたのは鉄でできた竜笛。
随分重量感のありそうな笛だ。
近寄ってきた龍蓮がそれにつ、と指を伸ばした。

「こら」

その手を押さえて、は龍蓮を自分の後ろに下がらせた。
話の流れがつかめない。

警戒した様子のに瞳を和ませて、大丈夫だ、何もしない、と告げる青年。

「俺は碧創喜。知っての通り、碧家の人間だ。楽器作りを生業としている。俺の楽器は特別でな。持ち主が選び、楽器もまた選ぶ。こうして旅して引き取り手を探しているんだが…………竜笛はお前に譲ろう」

竜笛を包みに戻して、龍蓮に差し出す。
龍蓮はそれをらしくもなく恐る恐ると受け取って、腰が砕けた。

「おい!何した!」
「ああ、悪い、悪い。坊主にはまだ重すぎるな。ほら、お兄ちゃん持ってやれ」

慌てて龍蓮を抱き起したに笑って、創喜はひょいっと取り上げた笛をに渡す。
も思わずよろめいたが、重いと覚悟していたため、何とかふん張れる。
龍蓮が寄ってきて、その笛に指を寄せた。

「龍蓮?」
「私の、笛だ」

しっかりと紡がれたその言葉にはあ?となるを置いて、創喜は語る。

「ああ、お前にその笛を譲る。大きくなったらお前の音を聞かせに来い。お前だけが出せる、その笛でなければ出せぬ、真実お前の音を。誓えよ?」
「承った。誓おう。必ずや守る」

はっきりとそう答えた龍蓮を見て、創喜は子どもらしくねぇな、と頭を掻く。

「この笛は非常に風流だ。私の音を今ここで聞かせてやれぬのは心苦しいが、いずれ聞かせに参る。それまでに借金にまみれて裸に剥かれていないことを祈る」

こんな言葉が四歳児からスラスラ出てくるのに周りは驚いて言葉もない様子だが、創喜は頬を引きつらせるに終わった。
明らかに表情が最後の言葉に引きつっていた。
それを見て、内心は何処までも馬鹿正直な奴、と龍蓮に呆れた。

「創喜さん、お代は要らないのか?」
「今の懐状況を考えると貰いたいところだが、俺はこの類の楽器に値はつけないようにしている」

その決然とした瞳に職人の意地を見て、は薄く笑みを漏らした。
何処となく、弟の、慧の意志の強さに似通ったところがあるように感じた。
これが芸術家肌の人間か、と感心する。

「と言っても、碧の旦那。金はきっちり払ってもらわねぇと困りますぜ」
「その楽器担保に入れりゃあ、話は早いんだが」
「これはすでに私がもらい受けた。横から取り上げようとは無粋な奴め」
「はいはい、これ以上お前が口を開くとろくなことにならないから」

賭場の男たちは創喜に貸しがあり、創喜の今の状況じゃあ、それを返せない。
結構高級そうな笛だが、笛代としては創喜は受け取らないだろう。
というより何故碧家の人間がこんな低俗な賭場で遊んでいるのかと突っ込みたいが、それは自分にも言えたことなので言わない。

「創喜さん、その借り俺がチャラにしてやるよ」

は不敵に笑んで受け取った笛を卓の上に置く。

「これはあんたに対する笛代じゃない。俺はここに博打をうちに来た。そこでたまたまあんたに会って、弟の龍蓮があんたから笛をもらった。これはもう龍蓮のもんだ。しかし、弟はこの笛を『賭場の連中に取り上げられ』そうになっている。それを防ぐため、『龍蓮のために』俺があんたの借りを返してやる。どうだ?」

あくまでこれは笛の対価ではない、といって椅子に座りなおす。

「大きなことを言って負けたら情けないぞ、愚兄」
「黙って見てろ。社会勉強させてやるよ、小金の稼ぎ方だ。見て覚えろ、愚弟」

慧が死んだ後、俺は大学を休学してアメリカに行っていた。
特に目的もなく、ギャンブルで稼ぎながら一年を過ごしたんだ。
ボードゲームなら、自信がある。
パチンコや競馬と違って、相手はサシで向かい合ってるんだ。
いくらでもやり方はある。

「創喜さん、いいな」
「ったく、藍家ってのはみんなこう、クソ生意気で失礼な奴なのか?わかったよ、任せる。鳴いてる龍を渡したら、次に引き取り手を探さなきゃいけない楽器がまだあるからな」

さっさと旅に出たい、と創喜は言う。

「引き受けた」

少々目線が低いながらも、支配者然として椅子に凭れかかり、腕を組む。

「元では俺の有り金、銀十両だ。三対一、札は“龍”。あんたらの内の一人でも俺に勝る札を持っていれば俺の金は持って行け。しかし、俺が一番よい札を持っているならあんたら三人とも、俺がかけた金と同額を出しな」
「坊主、本気か」

この賭場の常連らしい男が尋ねたのに、は唇をくっとあげる。
生意気なのその仕草に、三つの席はあっという間に埋まった。

こういう下町の賭場では暗黙の了解と言っていい一つの決まりがある。

『ばれないイカサマはしていい』

いかにばれずにイカサマを行うかすら、それは賭博師の腕となる。
しかしばれたら有り金どころか服まで剥かれて、放り出されるのも決まりだ。

は強かった。
ガキと侮った奴らが次々と座り、もうすぐ十回目になりの持ち金が金五両を超えようかという頃、ようやく常連たちは気づき始める。
札を引くその手つきすら、素人のものではないことを。
勝負師として、賭博師として、完璧な所作、佇まい、表情。
自分たちよりはるかに上手だということを。

「神龍飛翔。俺は全額かけてるぜ、三人合わせて金十五両。貰おうか」

卓上に開いた札は最強に次ぐその一手。
相手に確認もせず言ったの言葉通り、最強の一手を引いたものはいなかった。

「次は誰だ?金二十両、現ナマで払える奴にしてくれよ」

別に帰ってもいいぜ、八歳のガキに負けたとありゃあ、何処の賭場でも笑われるだろうがな、と厭味ったらしく言えば、懐から重そうな巾着を机の上に放り投げて、皆が顔色も赤く腰を下ろす。
創喜は後ろでむちゃくちゃだこのガキ、イカサマじゃなけりゃ揃わねぇ手を証拠見せずにやっちまう、とひたすらに感心した。
龍蓮はの横で突っ立ったまま、兄の手元を言いつけどおり良く見ていた。

勿論、はイカサマをしている。
出なければ最強と次手だけを出し続けることなどできるわけがない。
さっき言ったとおり、がこの場の札の流れをコントロールしている。
だからイカサマをしても、それを追求する証拠がない。
名賭博師の勝負とは、イカサマをしながらそれに気づかれず、相手もイカサマならば相手の証拠を探りながら相手より先に上がる、これが重要なのだ。

その後も順調に勝ち進み、もはや小金とはいえない金三百両を超えた。

「坊主、次はワシが相手だ」
「……………胴元の、お出ましか」

老齢の穏やかそうな、しかし目は不穏な光を放つ男が腰かけた。

「一対一で良かろう。ワシが負ければ、あんたはワシから取り分を受け取って帰れば良い。もしあんたが負ければ、全額置いていってもらう」

この勝負、断れないのは分かっておるな?と聞かれ、頷いた
零か全てかの勝負にかけて、は札を引いた。


黙々と札が引かれていく。
今までのような性急さはない。
誰もが二人の手元に集中した。

先に札を引く手を止めたのは、だった。

「龍王、降臨」

卓の上に静かにそれを開いては深く息をつく。

「おかしいな、坊主。ワシも龍王降臨じゃ」

次の札を引かずに胴元が投げた札も「龍王降臨」が揃っていた。
お互いがお互いのイカサマを指摘する種を見つけられぬまま、両者の手札が揃った。

ざわざわと周りがどよめく。

「坊主、一手前で手札は揃っておったじゃろう、何故開かなかった。お前が引いた時点で開いていたらワシは負けておった」
「正直に言うね、じいさん。だが、俺が金六百両も持ち帰ったら、あんた困るだろ」

襟もとでパタパタと扇ぎながら、椅子の上でくつろぐ姿勢になった。

「創喜さんの借金もせいぜい金三十両かそこらだろ。それを越えたあたりから顔が蒼くなってたぜ。今回俺の目的は賭場荒らしじゃねえからな」

胴元がもっと早く出てきてくれりゃ、そこで終わりにしていたぜ、と言っては卓上の金を顎で示す。

「創喜さんの借金分、もってきな。アガリがやばかったら持っていってもいいぜ」

胴元はきっちり金三十二両を取り上げると、残りを丁寧に巾着にしまってに渡す。

「ここで返して貰ったら男が廃る。すべて持って行きなさい」

それにが何を言うこともなく受け取った。
腹に力を入れて竜笛の包みを持ち上げ、巾着を左手に下げる。

邪魔したな、そう声をかけては席を後にした。

「なぜ、最後開かなかったんだ?」

後をついてきた創喜は自分の腰ほどしかない少年に声をかける。

「ああするしかなかったんだよ」

そういってが袖から取り出したのは「龍王降臨」の手札。

「それが最初あった札で揃えた龍王降臨だ。俺は一回回を重ねるごとに俺の自前の札を中に紛れ込ませていた。勿論枚数をそろえるため、もともとの札は抜く。俺の札には仕掛けがあってな、その仕掛けが分かるものならそれを偽の札と見抜ける。あの爺さんも同じ手をやったんだよ」

胴元は最初から「龍王降臨」を揃えて山の中に紛れ込ませ、「本物」の札と思い込んで「」の札を抜き揃えていった。
もし胴元がより先にそれを開けば、それは偽の札だと指摘するつもりでいた。
逆ならば胴元はの手札を偽の札と指摘しただろう。

「だが、お前は本物も持っていただろう?」
「そう、指摘されても大丈夫だったが………俺が数回かけた仕込みを一回でやったじいさんへの敬意だ」

あんたその金持っていっていいぜ、とは創喜に巾着を投げる。
パンパンに膨れて重たいそれを何とか受け止めた創喜は首を横に振る。

「受け取れない。受け取る理由がない」
「じゃあ、理由を作ってやるよ。そうだな、あんたの作った楽器を受け取った奴の中に、琵琶に異常な執着を見せる奴がいたら教えてくれ」
「琵琶?そういえばまだあれは引き取り手がいないな。じゃあまずは貴陽に戻って茶州からぐるりと全国を巡るか」

呟き始めた創喜に、は笑む。

「いたという事実だけでいい。名前も、場所もいらない。ただいたと教えてくれればいい」

頼んだ、とは静かに頭を下げた。
創喜は巾着から、金貨を十数枚抜くと、巾着をに押し返す。

「前金として貰っとく。残りは見つけてから貰いに行く」

それを受け取って、は龍蓮に渡した。

「何だ、愚兄」
「持ってろ、俺にだけ重い思いさせやがって」

頼んだ、ともう一度頭を下げて、は龍蓮の手を引いていく。
遠くなるその後ろ姿を見て、創喜はため息をついた。

「俺は職人だぞ。迷子捜索係じゃねえっての」

いや、むしろ迷子になっていたのは彼自身かもしれない。
あれだけ自信を持って勝負に臨んでいた少年が、それを口にする時確かに震えた。
頼まれたからには仕方ねぇな、と次の荷物の中にはあの琵琶を入れようと思いついた創喜だった。


「愚兄」
「何だ、愚弟」
「何を探している」
「お前でもわかるまいよ。俺だっているのかすらわからない、いてほしいのか、いてほしくないのかわからない。もう一度会うのも、少し怖い」
「兄上は他人は読めても自分は読めぬのか」
「読めない。色々ごちゃごちゃで、変になりそうだ」

龍蓮は黙したまま、この兄は凡人だ、と思った。
決して天つ才の持ち主ではない。
けれど、普通にもなりえない。

兄弟の中で最も似ていて似ていない、そんな存在だと思った。


2009/07/12  移動