俺と兄貴と剣稽古

うっかり喧嘩になりかけるそんな俺たちのカンケイ



は思う。
自分は確かに小六のときに剣道を一年ほどやっていたが、試合に参加しない、友人に誘われてのお遊び半分だったし、構えもなんかちょっとカッコつけて脇構えなんて変な構えを選んだ。
もとより、週土日の町内クラブだけで、中学で剣道部に入るつもりはかけらもなかった。
それは剣道では全然使えない型だったが、実戦では意外に使えるもんだなぁとは兄の手から弾いた木刀を視線で追った。

「くっ…………」
「何度見ても珍しいな、その構えは」

楸瑛が悔しそうに木刀を拾って、二人の稽古を見ていた司馬迅が感心したような声を出す。
それに楸瑛は不満そうな表情を隠しもせず、腕を組んだ。

「変な構えだ!普通正眼に構えるだろう?どこで覚えてきたんだそんなの」

はどこ、ってねぇ、と困ったように頬を掻く。

「自分の体の右側で剣を構え、剣先を隠すことによって剣の間合いを悟らせない。相手は迂闊に間合いを詰めれず、相手が遠く離れている時に相手の出方を見る。一対一、そしての木刀なら有効だな」
「さすが迅、そこまでわかるか」

この兄の幼馴染のセンスには毎回驚かされる。
それにまあな、と返した迅は同時にこの構えの欠点も挙げてくれた。

「大人数の実戦じゃあ意味をなさないな。それにその木刀、他よりも少し長めに作ってあるが、真剣でその長さでは重くなるだろう。まあお前は楸瑛よりも力あるけどな」

その言葉に楸瑛はますます不機嫌になる。
つい先日龍蓮が旅出た後、藍家最小という不名誉な称号を得てしまった兄はまだそれを根に持っているらしい。
それ以来もそこそこ真面目に稽古に取り組むようになったから、力の差まで明らかになってしまった。

「剣を手の中で回したりして動作の無駄を減らしているが、最初はやはり剣先を下げてる分、防御への移行が遅くなる。最悪、左腕を犠牲にして右腕だけで剣を相手の腹に叩き込むことになるな」
「よくおわかりで。だから『捨の構え』ともいうんだ。攻めだけに特化した、陽の構えだよ」
「素直に普通の型にすればいいのに、天邪鬼」

楸瑛の不満から出る悪口を聞き流し、降参、と言った様子で手を上げる。

「いざとなったら正眼も使うよ。それに相手が複数だと間合いを測る暇なんてないから、構えも何もないだろ」

実際、が構えて冷静に相手の出方を見るのは開始の時だけだ。
それぞれの剣先が触れあったら最後、あとは体ごと突っ込んで全力でねじ伏せる猛攻。
剣稽古という名目で型通りの動きをやらせれば、は楸瑛よりも丁寧だ。
しかしそれは楸瑛が真剣に費やしてきた時間を型の復習に使っていたからであって、勝敗を決する試合ではは完全我流となる。

「じゃあ、次真剣でやるか」

さっきまでの木刀での試合は体ならしとでも言うように迅が鞘つきのそれをに放った。
途端にいやーな顔になる

「えー」

対して、楸瑛は意気揚々と剣を抜く。

、今日こそは逃げるなよ」
「嫌だな、逃げてねぇよ、俺は基本的に平和主義者なんだ」

喧嘩っ早いくせに何を言う、と言われては首を横に振る。

「拳で熱く語り合うなら大歓迎」
「まっぴらごめんだ」

ふざけて言った言葉に打てば響くようなスピードで言い返されて、は渋々とした様子で剣を抜いた。

真剣では防御に徹することを決めているため、剣は正眼に構える。
脇構えから相手の腹部を狙う形がの最も得意な形だが、それでは万が一相手が防げなかった時に大怪我を負わせてしまう。
そうでなくてもは寸止めや当て止めのような神経を使う作業は苦手だった。

自分が真剣で脇構えをするときは、本当に本気になった時だろうなぁ、とは思っている。

すっと上がった迅の手が真下に振り下ろされる。

―――――始め!」



真剣での勝負となるとの形勢は一気に悪くなる。
それはに攻めきる覚悟がないということもあるが、楸瑛の方が動きが速いという点もある。
腕力で言ったらこの三人の中で最下位になる楸瑛だが、速さで言ったら迅と並ぶ。
迅の方が技術も精錬されているため楸瑛が勝つことはあまりないが、この速さはにとっては難敵だった。

は自分から攻めに行くことはしない。
だから相手の反応に合わせて剣を動かしていて、つまり相手に流れを握られているわけで、の速さでは楸瑛についていくのがややキツイ。
決して遅くない、むしろそん所そこらの奴では相手にならないくらい速いのだが、一撃一撃に重みをつけてしまうため、どうしても楸瑛より遅くなるのだ。

「ちょ、タンマ!タンマっつってんだろーが!ストップ!」

の声は審判役の迅にすら聞き届けられず、楸瑛も好戦的な顔で剣を繰り出す。
試合だと分かっていても、真剣をもってそんな顔で迫られたら現代常識のあるには十分冷や汗モノだ。
別に先端恐怖症でもないが、現代人に包丁持って兄弟とチャンバラ出来るかと聞いたらできるわけねぇってのが普通だろう。
ガキならともかくなまじ理性のある大人だけに。
最悪の事態を想定できる大人だけに。

「あー!くそっ!」

キィン、と楸瑛の剣を力業で押し返して、そのままは柄を握る手を緩めた。
勢いのまま振り下ろされた楸瑛の剣がの左肩に触れるか触れないかのところでぎりぎり止まり、の剣は二人の足元に柄から落ち、その刀身を地面に寝かせた。

「いきなり放すな!危ないだろう!」

楸瑛が怒鳴った。
はやばい、まじで怒ってる、と思いながら、試合が中断されたことに安堵していた。

「ごめん、マジ、無理」

大きく息を吐き出して地面に座り込む。
木刀の時に比べそれほど長い試合ではなかったのに、全身汗びっしょりだった。

「大丈夫か、

迅がの右肩を軽く叩いて言うのに対してはかすり傷一つなし、と強張った笑顔で答える。

「あー、やっぱ駄目だわ、俺」
「真剣は使えない、か」
「というより使わないんだろうな」

迅の言葉に楸瑛は首を傾げて視線をやる。

ほどの使い手なら、真剣だって大して変わらない。それでも真剣になったらまったく攻めれないってのは攻める気がないんだろう」
「大義名分がね、ないんだよ」

他人に刃物を向ける理由。

「兄貴は、何故剣を使う?」
「最低限身を守る術は必要だろう」

それは分かる。
合気道を護身術として習ったりするのは現代でもよくあった。
しかし、普段護身のためにナイフを持ち歩くのは法律違反だ。

この一点においてのみは現代の常識を捨てられない。

『自分を守るため』というのは、にとって剣を使うことへの正当な主張とは成り得ない。

「別に自殺願望があるわけじゃない。ヤバい奴らに出会えば全速力で逃げるし、相手が素手だったらこっちもぶん殴って気ィ失わせて対応してやるよ。大人しく殴られる性格もしてねぇからな。ただ、俺には他人の命を奪ってまで、それを背負って生き続ける自信がない」
「命を奪うって………大袈裟だな」
「大袈裟か?違うだろ。剣ってのはちょっとした間違いで人を殺せる。さっき俺が試合中に勝手に剣を放したから兄貴は危うく俺の肩ぶった切るところだった。だから怒ったんだろ。ちょっとした事でおおごとになる、それが剣だ」

呆れたように言った楸瑛の言葉はこの世界にとっては普通の反応なのかもしれない。
日本だって二、三百年戻れば腰に刀差して歩いていたんだ、そんなにおかしい事でもないと頭では理解している。
ただ、割り切れない。

「俺は他人の命を奪ってまでやらなきゃいけない大義名分がない。別に兄貴たちを批判しているわけじゃないぜ?自分が生きるってことだって立派な大義名分になる。ただそれに俺の考えは当てはまらないってだけだ。俺が真剣を躊躇いなく使うようになるのはこの先一生ないと思うが、やらなきゃいけないこと、その為に他人を犠牲にしてでも生きなきゃいけないと思ったら、自ら真剣を抜く日が来るだろう」

は短絡的に見えて実は細かく観察、分析しているということを楸瑛は知っている。
相手を許容する柔軟さも、自分の意志を貫く強固さもある。
だからこそ、ここで楸瑛や迅が何か言ったとて、変わりはしないだろう。

が言った通り、彼に剣を抜かせるには必要なのは彼自身の大義名分。
が他人より絶対的位置に存在する大切な何か、守らねばならぬ何かを見つけた時。
彼は非情ではなく『情』のために剣を抜くだろう。

「じきに旅に出るとか言ってなかったか?旅に出れば否応なく厄介ごとに巻き込まれるぞ」

実際に茶州を旅してきたからこそ出る言葉。

「いや、旅に出ることはまだ決定事項じゃねぇし。まあ、自分探しの旅じゃあ俺に決心させること出来ねぇかもな。でも別の目的で旅に出ることを決心させる何かがあれば俺も決心しちまうんだろうなぁ」

剣で誰かを斬ることを。

自分はその何かではない。
その何かは藍家兄弟の誰かではない。
まだの前に現れぬ、何か。

大人びた目で地面に落ちた剣を見ていたの頭を楸瑛がぐりぐりと撫で回す。

「だからお前は可愛くないんだ」
「言葉と行動が矛盾してないか?この手は何だ。放せ、髪が乱れる」
「うるさい、元からボサボサなんだからいいだろう」
「どうせ括るのにわざわざロン毛にしてるってのが納得いかないんだが。迅だって短髪だぜ?お前だけだ、女装でもする気か」
「お前たちがおかしいんだ!」
「効率重視ー。な、迅」
「ああ、まぁな」
「なっ」
「というわけで多数決により兄貴の髪型はおかしいと認定」
「まだ言うか!兄上たちはどうなんだ、あの人たちだって髪は長いぞ」
「俺はあの三つ子に常識は求めねぇ」
「……………」

普段通り軽口を叩き始めたを見て、楸瑛は密かに安堵する。
目の前で『殺るくらいなら殺られる』と宣言されては兄としては心中複雑だ。

普段口喧嘩ばかりして、趣味も性格も合わない弟だが、これでも大切な弟。
兄としては弟が落ち込んでいれば心配に。

「別におれは機能重視でこの髪型にしてんだけど…………。女にモテたけりゃまず最初に目を引かなきゃ駄目だぜ?俺とお前は同じ顔。美形度は同じなんだから、ちょっと奇抜なほうが女は寄ってくる。そして中身が意外と気さくでマトモだったりすればギャップに弱い女はイチコロ。女の集め方も知らんとは青いねぇ、坊や」

なるけどやっぱりムカつく!と思う楸瑛だった。


2009/11/10  移動