今日は母さんにおつかいをたのまれて、駅まえのスーパーまで歩いていくことになった。 そんな遠くないし、おっきな交差点もいっこだけだし。 服着替えてサイフを首にかけると、と階段の最後の段をとびおりた。 何に集中しててもぜったい見落とさない姿がみえて、おれは後ろを振り向く。 一番上でおとうとがじーっとこっちを見てる。 いや、おとうとは目閉じてるし、ていうか目見えないけど、全身で口ほどにものを言ってる。 「『僕も行きたいです、連れて行って下さい、お兄様』だろ。ほら、言ってみろ」 たたたた、とあぶなげなく階段を降りてきたおとうと三才はそれはもうかわいらしく笑顔を浮かべて、口を開いた。 「ぼくもいきたいです、つれてってください、おにーしゃま」 く、くそぅ………! かわいい、かわいすぎる! しゃまだって、おにーしゃまだって! そこ、うるさい! ブラコンで何が悪い! パジャマ姿のおとうとを抱き上げて階段を上ると、弟のイスの上に置かれた服を着せる。 ちなみに前の日におとうとの服をくつ下までそろえて置いておくのはおれの役目で、それを着せてやるのもおれの役目。 弟は今ボタンをとめる練習中だ。 手先は器用だから、きっとすぐできるようになるだろう。 「こら、慧!くつ下はけ!」 「ヤダ!」 「ヤダじゃない!」 慧はくつ下とか、てぶくろとかが嫌いで、家ではたいていはだし。 外に行くときも裸足でいこうとするから、おれはそのたびにほかくしなきゃいけない。 慧はまだ三才だからスポーツはともかく、運動オンチじゃないし、サルみたいに身軽ですばしっこいから結構たいへんだ。 二段ベッドの上に逃げ込んだ慧。 ふっ、わざわざ逃げ道のないところへ。 おれもはしごを上って慧を追い詰めると、足首をつかんで靴下をてぎわよくはかせる。 「むー」 「むーじゃない」 準備ばんたんな慧をだっこして二段ベッドからおりて、そのまま玄関まで運ぶ。 アニメのヒーローの靴をはかせて、手を繋いだ。 「あら、慧もいくの?忘れないでね、キュウリ三本と枝豆一袋と苺1パック、冷凍のクルマエビと牛乳、コーヒー用のミルクポーションとキッチン用のスポンジね」 「多っ」 母さんはおれの首にかかったサイフにお札を突っ込んで、メモも入れといたから、と言った。 「お兄ちゃん、お願いね」 「おねがいされた!」 「おれがお前にまかされたんじゃなくて、お前がおれにまかされたの!」 慧の額をコツンと叩いて、おれは玄関のドアに手をかけた。 「じゃあ、行って来まーす」 「まーす」 「はれたるあおぞらただようくーもよ」 ゴキゲンで歌ってる慧には悪いが、なぜに歓喜の歌? 「あなぁたとぉ〜お、こえたい〜、あまぎぃ〜いごおえぇ〜!」 途中から天城越えになったよ、しかもこぶし入っててうまいよ。 一回きいた音楽はぜんぶ覚えるから、こどもらしくない選曲でも仕方ない。 多分演歌はじいちゃんのせいだな。 だがね、慧くん。 ここがお店の中って忘れないでね? すいません、すいませんと頭をさげるおれに他のお客さんは温かい目を向けてくれる。 慧はにこにこ笑顔で愛想がいいせいか、ご近所のみなみなさまから大人気だ。 でも慧はこれでもかなりの人見知り。 絶対におれより前には出ない。 「えーと、なに買うんだっけ」 一応口頭できいたけどサイフの中にメモを入れてくれてるはず………って。 ねぇじゃん! あのババァ………!早くもちほーしょーか! 「えー、えー、そうだ枝豆だ!あとはえーと」 「きゅーりさんぼんとえだまめひとふくろといちごわんぱっく、れーとーのくるまえびとぎゅーにゅー、こーひーよーのみるくぽーしょんときっちんよーのすほんじ」 そう言えば慧は音で仕入れた情報は絶対に忘れないんだった。 ずいぶん気の抜けた声で全部言ってくれたが、たぶん慧はその意味は分かってないだろうな。 「ナイス、慧」 腕にさげたカゴの中に手近な苺のパックを突っ込んだ。 小さい子ども二人で買い物してると、何だかんだいってまわりの人が世話を焼いてくれる。 「車エビはこっちよ、それはあまえび」 「…………どうも」 「どーも!」 ちなみに慧は人間録音機にしか役に立たないので、慧に相談することはしなかった。 「慧、牛乳持ってきて」 「ぎゅーにゅー、ぎゅーにゅー、ぎゅーにゅーぎゅーにゅーぎゅー」 ちょっとまて、最後乳牛になったぞ、牛乳だからな!? やっぱり意味分かってなかったか…………。 連呼しながらてくてく歩いていく慧を見送る。 あれだけ言ってれば牛乳以外のものを手にとったら周りの人が何か言ってくれるだろ。 「ぎゅーにゅー、ぎゅーにゅー!」 うん、ちゃんと牛乳持ってきてくれたのはありがたいけどね、なにちゃっかり牛乳プリンもいれてんの? 「返してこい」 「ぎゅーにゅーぷりん!」 「牛乳だけでいいの。すでに食品化されてるものはいりません!」 あ、こら牛乳を返そうとするな。 「はい、返却」 「あーっ!」 「あーっじゃない」 ったく、よけいな手間をかけさせやがって。 えーと、キュウリと枝豆、苺、クルマエビ、牛乳、コーヒー用のミルクとスポンジ…………これで全部かな? 「慧、もう一回言って」 「きゅーりさんぼんとえだまめひとふくろといちごわんぱっく、れーとーのくるまえびとぎゅーにゅー、こーひーよーのみるくぽーしょんときっちんよーのすほんじ」 「ん。OK」 レジのおばさんにカゴを渡して、えらいね、おつかい?と聞いてくるのをてきとうに流す。 おれは慧がどこかへふらふら行かないか気が気じゃないんだ。 母さんに渡されたお札を全部出して、おつりをじゃらじゃらいっぱいもらった。 この前小学校に入ったばっかだけど、いちおうかけ算まではできるから大丈夫だ。 お金をしっかりサイフにいれて、カゴの中身を台まではこんでビニール袋に入れる。 「ぷりんーぷりんー」 「だーめ」 おれは慧をちょっと甘やかしてるが、こほん、かなり甘やかしているが、何でも自分の意見がとおると思ってるわがままなやつにはしたくない。 ここは心を鬼にして、だめなものはだめでやりとおさないと、しょうらい慧のためにならない。 それにひきかえ、母さんは慧が目見えないからって何でもかんでも甘いんだ。 プリンだろうがアイスだろうが慧がねだれば買っちまう。 子どもが親にものをねだるのは普通のことだ、だれでもする。 でも普通の親はききいれる時もあればがまんさせる時もある。 それを慧にも覚えさせないと。 「今日はだめ。がまんしろ」 ぶすっとした顔の慧の頭を軽く叩いて、宥める。 それでもかんしゃくを起こさないのは慧の偉いところだ。 慧はぐずぐず泣くことはあっても、人前でかんしゃくおこしてわんわんないたりしない。 ………そう言えば、慧に店の中では歌を歌うなと教え込まなくちゃ。 自分で何かしら持ちたがる慧にキッチンのスポンジとエビの冷凍用にお一人様ふた袋の氷の一つを与え、氷の冷たさに夢中になっている間に慧は牛乳プリンを忘れたらしい。 都合のいい奴だ。 こちとらイチゴをつぶさないように品物の入れ方を工夫するのでつかれ果てたってのに。 「う〜……」 しばらく自宅までの道を歩いていると、慧がへんなうなり声をあげてふらふらし始めた。 やばい、座り込む合図だ。 一キロくらいの道のりだけど、往復すれば三才の慧にはつらいよなぁ、おれも考えなしだった。 「大丈夫か、慧、おんぶするか?」 行きとはうって変わってしおれてる慧の前にしゃがみこむと、慧はぷるぷると首を振った。 「だっこ」 だっこ、って……………。 おいおい、状況考えてくれよ、荷物あるからムリだろ。 おれだってまだ六才になったばっかなんだぞ。 「だっこはムリ。おんぶならいいぞ」 「ん」 慧の前にしゃがみこんでやると、慧はおれの体に迷いなくよりかかって首に手を回す。 足をおれのはらにしっかり巻きつけてしがみつくからおれが手を添えなくても問題なし。 歩いてこんなに遠出したのは初めてだからかな、慧はすぐにおれの肩に顎を乗せて眠りに就いた。 かんべんしてくれよ、眠った子どもって重いんだよな…………。 願いが通じたのか、それともおれが無意識にゆすってしまったのか、慧がぴくっと目を開いた。 慧の目は見えなくてもきれいだ。 お医者さんから聞いた話によると、別に慧の目に何かの問題があるわけではないらしい。 生まれた時に目を傷つけたわけでも、病気になったわけでもない。 それよりももっと奥、目から得たじょうほうを受け取る脳のどこかに問題があるらしい。 つまり、見えているはずなのに、慧の頭はそのじょうほうを受け取らないってこと。 だから眼科も外科もお手上げってわけ。 心の病気で視力をきょひする例もあるっていってたけど、慧は生まれた時から目が見えないし、見たくないわけではないはずだ。 光にも反応しない慧をみて、おれは目に黒い布をぐるぐる巻きにして過ごそうとしたことがある。 母さんが馬鹿なことはやめなさい、って目隠しを取り上げて、おれは無意識のうちにホッとしていた。 ほんの十数分、ものすごくこわかった。 動きたくなかった。 周りに何があるかわかんなくて、めったに泣かないおれが泣きそうになってた。 「慧、そういえば来月アメリカの病院にいくんだっけ?」 「んー?」 慧に聞いても分かんないか。 「なぁ、目が見えるようになったら何が見たい?」 慧にこれを聞くのは酷かもしれない、とおもいながら、おれは聞いた。 慧は寝ぼけたような口調で、おにいちゃん、と言ってまた目を閉じた。 おれの質問を理解したのか。 それとも寝ぼけてただ呼んだだけなのか。 どちらにしろ、おれはものすごくうれしかったぞ、慧。 |
2009/11/10 移動 |