縁の下の力持ち
ここは藍州州都・玉龍。 そこに位置する州府では、藍家当主と藍州州牧によって話し合いの場が設けられていた。 議題は近く雨期を迎えるのに備えて、都の水路と橋を強化する工事に関することである。 大切な論議であるはずなのに、州官達の様子にはどこか落ち着きがない。 それは藍州州牧の席に腰掛けている一人の子どもの所為だった。 藍家当主は三つ子で兼任している。 何度か顔を合わせたくらいの州官達には見分けがつくはずのないほどそっくりな三人で、三人のうちの誰が来ているかなど分かるはずがない。 だから、藍家当主の肩書をもつ者が来ることが重要なのであって、そこに誰が座っていようと気には止めないことにしていた。 しかし、今回ばかりはそうもいかない。 長机の一角を占めた少年は、手元の料紙を三角形に組み立てると、さらさらと筆を滑らせた。 『藍家当主代理』 少年はそれを自分の前にみんなに見えるように置いて、満足したように深く腰掛ける。 何故子どもが代理、とその場にいる誰もが思ったが聞けず、席も埋まっていよいよ会議が始まるかに思えたその時。 「始まる前に、皆が疑問に思っているであろうことを説明します」 机の上で組んだ指を解いて、三角形の紙を指差す少年。 「本日、藍家当主が健康上の都合により、招請に応じることが出来ず、その代理を承りました。藍家直系五男、藍と申します」 健康上の都合、と聞いて州官に動揺が走る。 「三人とも?」 「ええ。ついでにすぐ上の兄も」 の言葉に周りからは流行り病か、などとの声が上がる。 それには苦笑を浮かべて眼前で手をひらひらと振った。 「そんなたいそうなものではありません。心配しなくても二三日寝ていれば大丈夫です。どうぞ議題に入って下さい」 妙に緊張もせずに落ち着いているに、皆違和感を抱きながら、当初の目的である会議を始めた。 修繕工事の費用や日程、藍家に要請する援助などが説明されていく中、口を挟まずただ聞いているだけのを見て、人々は代理とは名ばかりのお飾りか、とその存在を見下していた。 州官による説明が終わった後、州牧が直接話し掛けるまでは。 「何かご意見は?当主代理殿」 煙管を片手にそう尋ねた孫陵王の瞳には僅かな揶揄が見られる。 それに不機嫌を隠さずに眉を顰めたは、その顔を見返して口を開いた。 「着工予定日に関しては無難だと思います。しかし費用に関しては少々意見が」 「どうぞ」 促し陵王に頷いては言葉を続ける。 「無駄な所に金かけんなよ」 ズバッと言われた言葉に州官ははじめ何を言われたかわからない。 「失礼。この見積書によれば職人の仮設住居、とありますが、全員納まるそれを建てるのに時間、費用、敷地、材木がかかります。それよりは点在する橋に人数を割り振り、付近の安価な宿を工事期間中押さえておく方が。工具、材木等の運搬には人を雇わず、州武官と商隊で。商隊とは直接交渉して市を通さずに材木を入手して下さい」 つらつらと述べられた言葉に州官の幾人かが気を悪くしたようだ。 しかしは気にした様子もない。 「その代わり、橋に使う資材に関しては金をかけて、留め具なども銅などではなく腐蝕に強い錫、合金化された真鍮、鉄などを用いて下さい」 それを聞いてやはり貴族のお坊ちゃまだな、と笑いが走る。 「この予算なら出来るはずです。財布に『穴』が開いてなければね」 の言葉に陵王の視線が鋭くなった。 それを不敵に見返して、さらに、と付け加える。 「雨期に備えて治水を考えるのは結構ですが、それだけが問題ではないでしょう。長雨による作物の被害、収穫量の低下も考慮に入れて、他州との流通を重視した方がいい。物価の高騰にも気を配っておかなければなりません」 まあまたそれは三つ子が動ける日にでも。 そう締めくくったは、藍州官吏の顔を見回した。 誰もが気圧されたように黙り込んでいて、中には恥いったように俯いている者もいる。 「藍州が王都に勝る豊さを保っているのは、州府と藍家の協力があってこそ。援助は惜しみませんので」 話が終わりなら帰らせていただきます。 そう言って立ち上がったは、左から飛来する物を掌で受け止めた。 拳を開いてみると、赤色の飴玉。 それを投げた主は、煙管を旨そうにふかしている。 「ガキ扱いしないでください」 「十分ガキだろ。官吏になる気は?」 「今のところ皆無」 「そうか」 とくに失望した様子もなく、興味なさそうな返事が返ってきた。 そっちが聞いたんだろ、と内心で舌打ちをしながら、扉を引いて部屋を後にした。 「会議なんて久しぶりだな」 企画発表やプレゼンテーションの資料を作るのに苦はないものの、あまりにもはっきり意見を言って相手を黙らせてしまうために、必ずしもいい結果で終わるとは限らなかった。 自分は完全に討論や弁論向きだ、と思っている。 ありえないことだが、和議なんて場に駆り出されたらその場で戦争再開かもしれない。 は深く疲れたようなため息をついて馬車に乗り込み、帰路を辿った。 藍邸につくと家人が駆け付けて来て、地面に頭をこすりつけるような勢いで土下座した。 「申し訳ありませんっ!この罰は命をもって………!」 「馬鹿言うな。そんな暇あったら死ぬ気で働け」 はぶっきらぼうに言い捨てると、ズカズカと邸の中に入っていった。 は楸瑛の部屋に足を踏み入れると、寝台に横になっている兄の側に椅子を引っ張って腰を下ろした。 「おーい、大丈夫か?」 そう声をかけると楸瑛が薄く目を開く。 「何でお前だけ………」 いつになく弱々しく吐かれたその言葉に、が呆れた口調で返す。 「兄貴達がお坊ちゃますぎるんだよ。まあ、俺は三つ子のところ行ってくっから、何かあれば呼べよ」 楸瑛は言い返す気力もないのか、頷くだけで目を閉じた。 は楸瑛の額から布を取り上げると、その額に触れて熱を確認し、床に置いてある盥を取り上げて、水場に戻しにいく。 するとすぐに家人が駆け寄って来た。 「様、私共がお世話致しますから、少し休まれた方が………」 「いや、心配ない。感染る危険もないからな」 三つ子と楸瑛、そして家人の幾人かが倒れた原因は病気ではない。 ただの食中毒である。 今は夏の終わり頃、湖海城に移ったばかり。 夏場は食材が痛みやすいため、もったいないがある程度日が経ったものは廃棄するようになっている。 しかしそれがどういう訳か、仕入れたばかりの野菜に混ざってしまったらしく、それに気づかぬまま調理し、食した。 しかもそれは、家人達用の食材ではなく、藍家の人間、つまりたちの食卓に並ぶものだった。 予想を裏切らずに味見をした幾人かの家人、そして兄たちはぶっ倒れ、熱と腹痛に悩まされている。 と言っても薬師からは寝ていれば治ると言われた程度であるが。 龍蓮が偶然食事を共にしなかったのは幸いだ。 大人なら平気でも、子どもはどうかわからない。 体のつくりが未熟なぶんだけ危険が大きい……………………はずなのだが。 同じ食事を口にして、はケロッとしている。 そう言うわけで、は現在とても忙しいのだった。 「食欲はないみたいだけど、粥をつくっといてくれ。それと氷嚢も。俺は三つ子のところ行くから」 家人たちを実質取り仕切りながら、三つ子の代役もこなし、といったところだ。 そしてさらにタチの悪い事に、一番重症なのが楸瑛で、三つ子はをからかえる位に元気なのである。 「入るぞ」 声をかけてから戸を開けると、三つ子のどれか一人がその寝台に腰掛けて文を読んでいた。 が生まれた時、零歳から『物心ついていた』とは言え、すでに三つ子が雪那を演じていたのだから見分けがつくわけがない。 成長していく中で、三人揃っているのを見ればどれが三人の中心人物、つまり雪那かは分かるようになった。 しかし、目の前に一人だけいるのでは、雪那かどうかと聞かれても答えられない。 は見破ってはいけないこと、と察していたからあえて口外しない。 以前兄達に見切れるか、と問われたことがある。 『長兄だろうが次兄だろうが三兄だろうが、俺の上には変わらねェ』 傲岸不遜に言い返してしまった。 何故かそれから必要以上にからかわれたり、こうして仕事(あくまでに出来る程度の)を押し付けられたり、意見を求められたりと、散々構われてほっといてくれない。 むしろ甘えられている気がするのは気のせいだろうか。 「起き上がれるんなら自分で州府行けよッ」 「途中で倒れたら大変だからね」 実はこいつ仮病なんじゃないか、と疑いたくなるほどはっきりした答えが返ってくる。 楸瑛の弱々しい言葉が可愛く思えてきた。 「それにほら、私は兄としてに色々な経験をさせてあげようと思って」 「大きなお世話だ!ったく、どこの世界に八歳の子どもに当主代理をさせるヤツがいる」 「君、いつも子ども扱いするなって言うじゃないか」 「確かに言ったが、公私をわけろ!あくまでおれは外見上子どもだからな、舐められるだろ。その分、兄貴達は鰻笑顔で申し分ない。」 「すごい言われようだなあ」 穏やかな笑みを浮かべて言う兄の本心はしれない。 「それで?州府の用は?」 「雨期に備えての治水が主にだな。何個か釘刺してきたから、計画を修正してまた言ってくるだろう」 釘を刺した、ということに兄は特に何も言わない。 藍家のものは、楸瑛でさえ、が並みの子どもではないということを知っている。 『龍蓮』候補であった過去は伊達ではない。 支配者には向かず、政治家にも向かないが、は官吏としてなら一流になれる。 「そうか、ご苦労様」 「どーも。完治してないなら寝ておけよ。食欲あるんなら粥作らせてるけど」 兄の額に手を当てて、自分と比べておおよその体温をはかる。 「楸瑛よりは低いな。でも微熱くらいあるから休んでろよ」 兄の手から文を取り上げて傍らの卓に置く。 「、その文を他の二人にも見せてくれないか」 「構わないけど、誰から?」 「紅家に知り合いがいて、時折文を交わしているんだけれど、今年の夏に第二子がうまれたそうなんだ」 「へえ、紅家に知り合いなんていたんだ」 「素晴らしい方だよ」 兄が人をそう評価するのは珍しい。 よほどの傑物なのだろう、とは頭の隅に留めておいた。 「じゃあ、寝ろよ!」 退出しかけたところをわざわざ振り返り、ビシッと寝台を指し示して言う弟に、軽やかな笑いを立てた後、大人しく布団にくるまった。 こんなやりとりを残り二人と繰り返し、時にはからかわれおちょくられ疲弊しながらも、は自ら進んで四人の看病に追われるのだった。 流石に命は要らないが、食材の管理だけは徹底させなければならない。 炊事場に関わる家人を集めると、は恐々としている人々を前に告げた。 「今回の件は確かにお前たちの不手際だ。が、幸いにして重症者が出ていないことから厳罰は下さない。今から倉庫、炊事場の全ての食材を確認し、痛んだものがあれば今度こそ残さず処分しろ。疑わしい物は廃棄で構わない。うち何人かは倉庫の環境を調べ、異常があれば報告。頼んだぞ」 テキパキとした指示に家人達は背筋を伸ばして声を揃えて返事をする。 それに軽く頷いて、は次にすべき事に取りかかった。 藍家当主というのは、案外仕事があるものらしい。 今日のように州府にいくこともあれば、各地から送られてきた書類に目を通すなどの事務仕事もある。 取り仕切る市場の数だけ、仕事は倍々に増えていくのだ。 最終的な判断には口を出さない。 しかし、今日上がってきた報告を取りまとめて三つ子が処理しやすいように資料を選び出しておく。 少ししたらまた兄達の部屋を訪ねて薬師に話を聞き、体に良いとされる食事を用意させた。 伏せっていることが人恋しさを募らせるのか、はたまた単なる嫌がらせなのか、三つ子は交互にを呼び出す。 そしても普段なら一蹴するような用事であっても、仕方ないな、と言って了承するのである。 しかし流石のも我慢の限界が来て、本邸で一番の大部屋に寝台を四つ運ばせると、そこに無理やり三つ子+楸瑛を押しこんだ。 その横に机を運んで自分の出来る範囲の仕事を続けるの姿を見て、思わず家人は感動に涙した。 なんて兄想いな御方なんだ、と。 「感染の可能性もないんだから、お前ら全員ここで寝ること。うろつくの禁止」 振り回されてばっかりでなかなかはかどらない書類を手に、は夜遅くまで明かりを灯して仕事をしていた。 病人なんだから眠っていろ、と早々に眠りにつかせた兄たちの寝台の一つから気配がした。 「兄貴、寝れないか?」 が呼びかけたのは楸瑛の寝台。 声をかければ、起き上るような気配がして、声が返ってきた。 「目が覚めてしまったよ。だいぶ楽になったし、もう大丈夫かな」 言葉通り、声にも張りが戻ってきている。 は筆を置くと、楸瑛の寝台の端に腰を下ろした。 「…………お前がこんなに面倒見がいいとは思わなかったよ」 「そうか?俺としては結構龍蓮の面倒も見てるつもりなんだが」 「それに、やけに手慣れてるじゃないか」 「あー…………良く熱出す奴が下にいたもんで」 「また、前世の話か」 楸瑛はあまり信じていなかったのだが、最近は本当の話なのかもしれないと思い始めた。 ふとした瞬間、例えば額に手を当てて熱を計る姿、手元の灯りで書類を片付ける背中がとても兄らしく頼もしく感じられるのだ。 それはもう、こっちが悔しくなるくらいに。 「兄上達にこき使われてるね」 「いや、あいつらは何も言ってない」 むすっとしてが小さく言葉を返した。 「ただ『私達が仕事を溜めると、下の者が困るんだよね』とか『治りかけの体で無理したらまた倒れるだろうなあ』とか『今ある仕事はでも出来るくらい簡単なのだけど、量があるから大変なんだよ』とか言うだけだ」 何かと人のよいの性格を知っているのだから、明らかに押し付ようとしているに違いない。 「ま、断んないうちは俺も余裕があるって兄貴達も分かっているだろうから、調子に乗ってるんだろうけど」 自分の限界を超えてまで引き受けるほどは誰にでも自己犠牲たっぷりなわけではない。 「この兄弟の一員に産まれたが最後、ずっと振り回されるんだろうさ」 「いや、君も十分問題児だからね」 と同じく常識人のくくりに入るだろう楸瑛は、前世やら+34歳やら転生やらを言い出す弟にきっちり釘を刺した。 「ほーお。そんなら今度は俺が振り回しまくってやるから覚悟しとけ」 とか言いつつも、この弟が他人に迷惑をかけれない性格なのを知っている。 出来もしないことを、と笑いながら楸瑛はもう一度眠る態勢に入った。 それから数日後。 皆も回復し、それぞれの役割に戻った。 これで一人に負担がかかるようなこともなく、滞りない日常に戻ると思いきや。 「何故、こんなに考慮する価値もないような訴状が増えているんだい?」 「塩の生産量の統計、早く計算して出してくれないか」 「無駄なことがべらべらと書いてあって用件の分からないような文、今まで来た試しがないんだが」 「わっ、女性からの再会を願う恋文がこんなに!」 「「「「何だって、今日に限ってこうなんだ!!」」」」 家令に向かって叫ばれたその言葉に、老齢の家令は体を小さくして答えた。 「訴状に関しましてこれまで様が選別したうえで当主様方のもとへ届けておりました。また、塩の生産量の統計というのは本来なく、各地から上がってきたものを様が計算し、それを提出していたのでございます。他家貴族からの挨拶伺いの手紙は賄賂と共に様が突っぱねておりました。楸瑛様の火遊びの後始末は、様が手紙が届く前に姫君に弟として謝罪に行っておられたようでございます」 子どもながらにせっせと働いていたのは知っていたが、影ながらそんなにも大活躍していたことは知らなかった。 いなくなると困るくらいには邸で重要な位置を占めていたのだ。 「そう言えばの姿が見えないな」 「寝坊か」 初めての姿が今朝から見えないことに気付いた。 龍蓮にしてもにしてもちょっと常識から外れた弟だったので、朝食の席に現れなくてもとくに心配はしなかったのだが。 「それに関しましては様から文を預かっておりまして」 家令が懐から取り出した文を開いて中を覗き込んだ四人はぴきん、と固まった。 そこにはらしい読みやすい字で一言。 『実家に帰らせていただきます』 四人の明晰な頭脳はその言葉を最初理解できなかった。 「え、実家ってここですよ、ね」 「これは明らかに嫁が言う台詞だよ」 「まぁ、言い方はともかくその意味するところは」 「もしかするとあの、ぐれた非行少年がするという」 「もしかしなくても家出だな」 てくてくとやってきた龍蓮が四人の後ろを通りながら一言言い残していく。 そしてまたどこへともなく歩き去って行った。 「探せっ!」 「影は?確か専属に一人つけているはずだぞっ!」 三つ子のその言葉で、何処ともしれない場所から声が降ってきた。 「申し訳ありません。撒かれたとの報告が入り、現在捜索中です」 いよいよ本気の家出か、と四人の顔色は悪くなる。 出て行かれる様な心当たりがなくもないところが悲しい。 「「「「――――っ!」」」」 それからまたしばらく経って、藍家本邸にほど近い、司馬邸。 自分の馬に櫛を当ててやろうと、納屋に入ってきた司馬迅は中に微かに人の気配があることに首を傾げる。 全く敵意を感じないため、そのまま中に足を踏み入れてみると、馬小屋に敷くための敷き藁が積まれた山の上で、頭の上に手を組んでのんびりと昼寝をしているを発見した。 「おい、こんなところにいていいのか。本邸のほう、けっこうな大捜索だぞ?」 「知るか。ちっとは俺のいる有難味を実感しやがれってんだ」 ふかふかの羽毛布団ではなく、藁のなかで居心地よさそうに再び眠る態勢に入ったを見て、とりあえず後二刻ほどは黙っててやるか、と思う迅だった。 |