亀の甲より年の功





今日は迅が家の事情で来れないらしく、剣稽古はなし。

真剣を使った稽古を始めたけれども、やはり神経が尖って出来ればやりたくないらしく、は小躍りして遊びに出掛けていった。

家人からの情報だと、は花街に出入りしているらしい。
私でさえまだ断られるのに、ズルい奴だ!

市で女性に贈るものを物色していたら、女性に声をかけられた。
まあ、私は見ての通り紅顔の美少年だし、そういうことは珍しくない。

声をかけてきた子は町娘って感じの元気のいいお嬢さん。
藍家ということを知ってか知らずか、如何にも気安げに呼び掛けてきた。

「あら、藍様、随分久し振りじゃない。今日は寄ってってくれないの?」

知っていたようだ。
そういう呼び掛け方をされたもんだから、以前どこかで会ったのを私が忘れているんだと思って。
さりげなく名前や素性を聞き出そうと話を合わせた。

「やあ、いつぶりだったかな?」
「二週間ぶりよ。すぐ来るって言うくせに、なかなか来てくれないんだから」

そこまで言われれば、自分が誰かと勘違いされているってのがわかるってものだ。
そして『藍様』と呼ばれ、なおかつまったく疑う様子もなく間違えられるのは一人しかいないということに気づいた。
滲み出る気品が違うと思うんだが、黙って立ってるとあいつも貴族の御曹司らしく見えるようだ。
もちろん、座ったらあの行儀の悪い座り方でばれるけどね。

まあ、それはさておき、いつも痴情のもつれは勘弁してくれと言っているあいつが、こうして女性に手を出してたってのが驚きだ。
だから、どんなお嬢さんだか知ろうと思ったんだけど。

「あら、髪が随分伸びたのね」
「え、あ、いや、これは」

私が何を言うよりも前に、唯一の相違点とも言うべき髪型に気付かれてしまった。

「それに服装も違うわね」

は袖や裾が余るのを酷く嫌う。
だから襟まで詰まった中着に上着を羽織って、両腕はいつも布で巻いている。
旅でもする気か、とからかったら、裾踏んでこけんなよ、とかなんとか言い返してきた。
まったく、口だけは達者なんだ、あいつは。

これ以上騙すのも気が引けて、私は正直にの兄だと告げたんだ。
するといきなり笑われたもんだから、いったいどうしたのかと驚いた。

「ああ、あなたが『可愛がりようのない兄ね』」

ひどく不名誉な(かといって可愛がられたいわけでもないんだが)形容詞に、不機嫌にはならないが、聞き流すことは出来ない。

「どういう意味かな?が言ったのかい?」
「ええ。六人兄弟の下から二番目だから、可愛げのない兄ばっかりだって。下の弟さんも自立しちゃったんですってね」

あいつがこうも話しているということは、この娘とは随分親しいのかな?

「失礼だが、とはどういう?」
「やーねー、こういう仲、って言いたいところだけど」

彼女は小指を立てて見せてから、肩をすくめて首を振った。

「どんな仲でもないわ。ただ一度お世話になっただけ」
「お世話?」
「そ。ねえ、あなたこれから時間ある?良かったら付き合ってくれない?」

特に予定はなかったし、せっかくの女性のお誘いを断る謂われはない。

「喜んで」

買い求めたばかりの簪を少女の少しほつれた髪に挿し込んで、女性に対するいつもの微笑を浮かべた。

「…………お、同じ顔してても中身は随分違うようね」

頬を赤く染めて、咳払いする姿はなかなか可愛らしい。
将来有望だね。








付き合って、と言われどこかと思えば彼女の家に招かれてしまった。
茶州を旅したときも高級宿を転々としていたから、庶民の家は初めてであちこち見回してしまう。

「あんまり見ないでよ、ボロいんだから」
「ああ、すまない。いや、ちょっと新鮮でね」
「ホントに中身は似ても似つかないのね」

彼女がもはや感心したように言って、お盆の上に用意した茶器から茶を淹れてくれる。

「ああ、ありがとう」
「お構いなく、だったわ」
「え?」
「彼が来たとき、こうしてお茶を出したの。そうしたら『お構いなく』ですって。彼は辺りを見回したりしなかったし」

これは私が責められているのだろうか。

「それは、気を悪くしたのならすまない」
「いいえ。別にそういうつもりで言ったんじゃないの。でも、随分違うんだなあ、て」

彼女は自分にも注ぎながら言葉を続ける。

「性格とかは人それぞれってもんでしょ?でも同じ家に住んでるんだから、生活観念とかは似てくるでしょう?なのに彼ったらどこでも平気って顔してるんだもの」
「あいつは、そっちが本当なんだよ」

こんどは彼女が首を傾げる番のようだ。

「あいつは子供のとき、って今も子供だけどね、高い皿を使うな割ったらどうする、とか、花瓶ならヒャクエンしょっぷで買ってこいとか言ってたなぁ。とりあえず、貴族の生活より前にまるで庶民の生活をしたことがあるような考え方をするよ」
「ああ、それで。どうりで貴族らしくないと思ったわ」

あまりにもすっぱり言われすぎて、本当に貴族なのに、とが哀れに感じる。

「そう言えば、お世話になったって?」
「ええ、ちょっと子守をしてもらったの」

まるでその言葉に合わせたかのように、子供が四人、ワラワラと室内に入ってきた。
………いったいどこに隠れていたんだ?

「姉ちゃー!」
「らんにぃだ!」

らん、がの幼名をさしていることに気付いたときには、子供たちに群がられてしまった。
自慢ではないが、私は子供の扱いに慣れていない。
も龍連もまったくと言うほど手が掛からない、いや、手が掛からな過ぎてむしろ困った。

の例だが、オムツを換えてくれ、と泣き出すどころか、自分で何とかして脱ぎ捨てていたし、腹が減ったら乳母のもとまで芋虫のように這っていった。
泣かない赤子だったから、藍家の老人達は随分を奇異の目で見てたみたいだが…………って!

「い、いたた、こら!」

私の背中によじ登った子供が髪をむちゃくちゃに引っ張っている。
…………手が掛からない弟で良かったかも知れない。


「あれ?何で楸の兄貴がいるんだよ?」


戸口から聞こえたのは自分とまったく同じ声紋、しかし口調は少し乱暴なそれ。

「あら、本物のご登場ね」

失礼な。
私は別にの偽物のつもりはないぞ。

「よお、チビども。元気にしてたか?」
「らんにぃだ」
「こっちのらんにぃつまんない」
「かみへん」

散々言われた悪口の怒りを子供にぶつけるわけにもいかず、仕方がないから弟にぶつけることにする。

「おい、何なんだ、この子達は!」
「何って鈴零の、あ、そこの姉ちゃんな、弟妹だよ」


俺さ、なんとなくホットケーキ………まあ焼き饅頭みたいなもんを作りたくなって市に出たわけ。
そしたら子供いっぱい連れて荷物たくさん持った鈴零がいたから親切心で声かけたわけ。
家まで付き添って、ついでにホットケーキ作ってやったら懐かれてまた来てくれって言われてたんだよ。


に色事を期待した私がバカだった。
そうだ、なぜか知らないが小さい子供に一発で懐かれるだ。
こんなことは想定の範囲内のはず。

「らんにぃ、ほっけーつくって」
「イヤイヤ、ホットケーキな、ホッケーは作れん。ホッケ料理なら話は別だが」

四人の子供はみんなに群がって、ぽつんと空間の空いた私と鈴零殿は顔を見合わせて苦笑する。
市で買い物でもしてきたんだろう、両手に荷物を持ちながらも、足元に群がる子供を上手く避けながら歩いていく
まったく。
藍の衣を着ていなかったらうっかり兄弟と間違えるところだ。

「兄貴ー、暇なら手伝ってけよー」

間延びした声が外から聞こえて、私は思わず溜め息をついてしまう。

「悪いが私を厨房に案内して貰えるかな?」
「ええ、こっち」



改めて思うんだが、やはりは根っからの『兄』なのかもしれない。

包丁は使わないから危険はない、と言って子供たちを台所に残したが、やはり色々な物が置いてあるし、四人もいるから目が行き届かないかと思ったんだが。

「積んである皿には触れるなよ、小慎」
「詩星、小麦粉は生で口に入れない!」
「油を嘗めるな、お前は化け猫か」

どれもこれも、視線は別のところに向いているのに、こっそり動く子供たちの行動を見逃さず、未然に防ぐ。
は間違いなく保護者の才能がある。

「兄貴、突っ立ってると邪魔!」

依然として兄に対する敬意は学んでいないみたいだが!

中華鍋って平たくないからやだねー、なんて言いつつ、牛の乳や鶏卵、砂糖などを混ぜたドロドロしたものを流し込んでいく。

「甘食みたいな形になるかも。どうせなら邸から調理道具持ってくりゃよかったぜ」

鍋に不満を言いつつも、手際よく一枚一枚焼き上げていく。
こうしてみると、随分器用というか、手慣れているというか、そもそもいつの間にそんな経験積んだんだ?

「ほら、兄貴、皿もって」
「あ、ああ」
「んじゃ、いくぞ〜」
「へ、え、わっ」

最後の一枚らしいそれを、重い中華鍋を持ち上げて虚空に放り投げる。
体勢を崩しながらも受け止めた私に、やる気のない拍手と子供たちの歓声が降り注ぐ。

「ナーイスキャッチ!」
「おまっ、そういうことをやるなら先に言ってからにしろ!」

それじゃ面白くないだろー?と言いながらは材料が入っていた袋から蜂蜜の瓶を取り出す。

「メープルないからな、これで代わりだ」

蜂蜜は高級品だ。
市で米を買うように手に入るものではない。
藍家の権力を使えば注文でも何でも手にはいるが、がいかにも市で買ったかのように出したのを見て、私は思わずを振り返った。

「お前、こんなもの、どこで!?」
「蜂蜜ってのは美容食品でもあるだろ?だから花街の妓女御用達の店なら置いてるかなーって」

もはや自分の家のように花街を行き来しているがなんとも羨ましい。

「らんにい、早くー」
「はいはい、ほら、手ェ洗って席につけー」

我先にと水場へ駆けていく子供たちを見送り、は調理に使った器具を片付け始める。

「同じ顔してるのに、なんで私じゃ駄目かなぁ」
「そりゃ、雰囲気だろ。兄貴は子供慣れしてないのが一目でわかるんだよ。緊張している相手は自分も不安を感じるから、子供は近寄らない」

なんだってお前はそんなに子供慣れしてるんだ、と突っ込みたいのは山々だが、どうせまた前世だの何だのを持ち出されて、拉致があかないことになるのはわかっている。

「そーかそーか、お前も子供に好かれたいか」

私が不機嫌な顔をしているのを見て、変な誤解をしたのだろう。
にんまりと笑みを浮かべたは、頼みもしないのに自分の持つ子供知識をべらべらと披露してくれた。

難しい言葉は使わない。
言葉はゆっくり簡潔に。
身振りや表情は少々大袈裟に。
嫌がるときは抱き上げない。

「最後のは大事な。無理にムツゴロウさんみたいにやると噛みついたり引っ掻いたりするから」
「む、むつごろう?」
「ああ、こっちの話。子供って自分が腕力ないのがわかってんのか、暴れるとき手ェ振り回して爪で引っ掻いたりするから。赤ん坊じゃなくて歯が揃ったくらいになると、噛み癖のある子も出てくるし」

何だかものすごく遠い目をして話されると、実体験なのかと思ってしまう。

「龍蓮か?」
「へ?ああ、違うよ、兄貴は耳タコだろうけど前世の話。あいつは………噛み癖がひどかったもんな」

ますますの目が遠くなる。
前世の弟の話をするときは大抵表情は暗かったがこんなに哀愁漂うのは初めてだ。
さぞや思い返したくないことなのだろう、と楸瑛は話を打ち切ろうとしたが、それより早くはきっと顔を上げる。

「だが俺は愛で乗り越えた!」

藪蛇だったかもしれない。
こんな『兄』の顔をしているときのの話は長い。
とにかく長い。
弟の可愛さから始まり、その成長の過程を二刻ぶっ続けで聞かされた過去があるのだから、今度ばかりはそうなってはたまらない。

、もうい」
「あらってきたー!」

の話を遮ろうとした私を遮った子供たちがワラワラと部屋の中に入ってくる。

「おー、じゃあ食うか」

私にくるりと背をむけたは、あっけなく話をやめた。
いったいなんなんだ……。



「うーん、我ながら上出来」

の言葉通り、初めて食べたものだったが、生地もふわふわしっとりとしていて、素朴な味と蜂蜜の絡みが結構おいしい。
子どもたちもそれぞれ歓喜しながら食べているのを、がまた『兄』のような視線で眺めている。

その瞳には微笑ましいものを見守るように、保護者の色にあふれていて。
弟にこんな顔をされてしまうと、本当の『兄』である私は一体どんな顔をすればいいんだ。

「ああ、口の周りべたべたにしやがって」

布切れのような手巾で、子どもの口周りを拭ってやる
食べやすいように切り分けてやる

それに素直に甘える子どもたちを見ていて、私も自然と和んだのだろう。
振り返ったは口元に笑みを浮かべて(子どもたちに見せるのとは違った、年不相応な笑みだ)、卓上に肘をついて、顎を乗せる。

「兄貴も誰か世話してみたくなった?」

人を食ったような笑顔ばかりのが、せっかく今日は普通の笑みを浮かべていたのに、私にはやはりこの笑みしか向かないのか。

「まあ、お前と龍蓮はごめんだけどね」
「こっちから遠慮するよ」

軽口の応酬で話を誤魔化し、再度を観察する。
最初はの恋愛事情を探ってやろうと思ったんだけれど。

こんなところでも『兄』をやってるんじゃないか。

「どうした?手が止まってるぞ」

やっぱりは目敏いな。

「いやあ、兄としては負けていられないなあと思って」
「ふん、年季が違うぜ、年季が。俺だって最初は手を焼いてたんだ。経験の差だな」
「年下のくせに何を言う」
「それはどーかなー」

三つも下なのに年上に思えてしまうは、確かに長年『兄』をやってきたかのような、器の大きい笑顔で笑った。

その笑顔が弟や子どもたちに向ける笑顔と同じだったことが不満だが………これが『素直な』なのかもしれない。



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