冬薔薇の棘を身に纏え




五行をおさめたこの力。

切り裂くのは妖か、神か。

それとも冥府の手さえ逃れる自分の首を切り落とすためか。

神の真意は掴めない。

再び生を与えたのは神。
力を与えたのも神。

ならばいずれこの命に終末を告げるのも、神であろうか。




一章  拾

「証をくれてやろう」

すっと翳した手に、不定形の光が灯る。
その光はの眼前に静止し、長刀と幅広の青竜刀を合わせたような得物になる。

「この国に数多ある山々を司る大山祇神が携えた剣。句句廼馳神の身代に熾された軻遇突智の焔で、剣の神である経津主神によって鍛えられ、我が水によって清められた剣。五行をすべからく制した得物。その形を取ったのは、お前にふさわしい形をとっただけのこと。………人間が崇めている三種の神器に勝るとも劣らぬ神宝よ」

思わず受け取ったはその肩書き驚いて、神の読めない面を見つめた。

「神をも殺す力を与えてよろしいのですか。私が、悪用するとは考えぬと?」

の挑発に似た言葉に高於加美神は鼻で笑って、船形岩の上に浮かび上がった。
神気を孕んだ風が緩やかに立ち上り冬の冷気が頬を打つ。

「強い力を忌み嫌っているお前がそのようなこと出来るわけがないだろうよ」

事もなげに見透かされて、は薄い笑みを口の端に浮かべた。

ちらっと一筋の光がの目を焼いた。

「ああ、夜が明けたな」

言い残して長大な龍が冬の空を翔ていく。
下賜されな長刀を抱いては深々と跪拝した。
その背に光を弾きながら神は天へと消えて行った。


は伏せていた顔に笑みを浮かべて大きく息をついた。

神が約定を交わした。
こちらから違えることがない限り、絶対のものと考えてよい。

徐々に、それこそ暁のように世界が光を取り戻していく。
闇が覆ったのは一日くらいの間だろうか。

いったい自分は何がしたかったのか、と溜め息をついた。
結局、自分が鬼に堕ちただけ。
まあ、自業自得とはこのことか。

雪の中に立ち続けた裸足の足は凍傷になりかけているのだろうか、まったく感覚がない。
手近な木の枝に縋って立ち上がろうとした時、手のひらに鋭利な痛みを感じた。

ぱっと枝から手を放すと、泥や血が乾いたところに新たな血が滴っていた。

「……そうか、枳殻の棘……」

唐橘。
棘を纏ったその枝。

「……俺は、橘じゃなくて枳殻だったのかもな………」

血が流れるのも構わずはその枝を根元から手折った。



安倍家を出る必要はないと神は言った。

しかしは安倍家に戻るつもりはなかった。
頑なだと、頑固だと思われるかもしれないが、大切だからこそ危険な我が身から遠ざけておきたかった。

「探し回られても困る……断ってから家を出るか」

今度こそ決別を告げる為に、はすっかり明るくなった山の中を下っていく。
あちこち怪我して泥だらけだが、大きな怪我はない。

は裸足を気遣ってゆっくり歩いていた足を不意に止めた。

腕に枝と長刀を抱え、思案することしばし。

「……どうやって持って帰ろう……」




一方、晴明は十二神将を総動員して、いなくなったを探させていた。
十二神将総出でも、愛孫の気配すら掴めず、なす術もなく一夜が過ぎた。

「すまん、晴明。―――俺の所為だ」

いつもよりいささか覇気を無くした声で紅蓮が告げた。
昌浩の室にいたならば、異変に気付いた時点で冬華も保護してしかるべきだ。
冬華が出ていった事にすら気づかぬとは、と紅蓮は拳を握り締めた。

それは敢えてが昌浩と紅蓮に気付かれぬようにしていたのだが、そんなことを知る由もない紅蓮はかなりの負い目を感じ、自分を責めていた。
同じく冬華を止められなかったという失態を演じた勾陣は、言霊の呪縛がとけてからずっと、都中を探し回っている。

「冬華は見つかる。大丈夫じゃ、無事に見つかるよ」

冬華が錯乱した様子で自ら飛び出して行った事は勾陣から聞いていた。
言い知れない不安は募るものの、晴明は心のどこかで無事であることを確信していた。
陰陽師の勘、とも言えるだろう。

「大丈夫、大丈夫じゃよ……」

言霊に強い願いを込めて、晴明はただ言葉を繰り返すしかなかった。

天変地異の出来事に見舞われた翌日、仄白い朝の陽光の中、一人の薄汚い子どもがの枝を抱いて歩いていた。
誰もが慌ただしく、道の端の子どもなど気にもとめない。


は顔を伏せて足早に進んだ。
顔をあげると不安げな人々の顔が目に入ってしまう。
塀に沿って並ぶ燃え尽きた篝火。
篝火の不始末か、所々上がる大小様々な火事の煙。


自分が、意図してではなくともしでかした罪の重さを痛感する。


目を閉じ、耳を塞いでは駆け、日が中天を越えた頃に見慣れた門の前に行き着いた。
息荒く上下する肩が静まるまで、門の前に佇む。
胸に抱いた枝をその棘が食い込んでなお握り締めて、伝った血が白い土に黒い染みを落とす。

俯いた視界に白色の管珠二つと瑠璃色の大粒の丸珠を通した首飾りが揺れる。
持ち運びに困った長刀は、の思いに応えてか、このような形をとった。
かの神の龍珠や眼差しを想わせるそれは、の契約の証、罪の証だ。

ごく僅かな神気を放つそれを衣のあわせに押し込み、門に手をかけた。
ぎっ、と音を立てて門は中に開き、続く石畳を踏んで庭に回った。

安倍邸にはどこかが火事になった様子も見られず、は全身で息をついた。


が自身にかけた隠し身の禁厭は、術がとけない限り、同室にいたとて気付かれることはない。
故にが庭を通って晴明の部屋の前まで行ったとしても、術をとくまで誰一人としてその存在に気づかなかった。

―――お爺様」

庭先から凛と響いたその声に、晴明は駆けるようにして半蔀を押し上げた。

「冬華!無事じゃったか……」

彩の少ない冬の庭に、枝を抱えた少女が白い面で佇む。
衣も素肌も傷だらけであるが、命に別状なく、無事だ。
真っ向から向けられる視線を合わせた晴明はぞわりと首の後ろに悪寒を感じた。


子どもらしくない子どもであった。

言葉も早く、表情も乏しい。

それでも、確かな温かみがその目にはあった。

しかし、今。

いっそ穏やかなまでに凪いだ瞳は剃刀のような鋭さを持っている。


若かりし頃の自分によく似た孫娘は、その目で晴明を射止めて言った。

「お話がございます―――