俺は変わらない。 守りきれないものは、いらない。 周りは変わってしまった。 切り捨てない、家族。 どうすればいい。 希望の残された絶望ほど苦しいものはない。 何せ、強い光は見えるのに。 それに縋ることが絶望そのものなのだから。 一章 拾壱 人払いを。 そう告げたがその場にいることを許したのは、晴明と陰陽寮から一時帰宅した吉昌だけであった。 冬華が見つかったとの知らせを受け戻った十二神将も今は晴明のそばに控えていない。 取り敢えず部屋に戻って衣服を改め傷の手当てをするよう促す吉昌に、は黙然と横に首を振り、地面に直接膝をついた。 晴明と吉昌は簀子に腰を下ろし、高欄を挟んでと向かい合った。 「まずは、多大なるご心配、ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」 は腕の中の枝を脇に置き、両手をついて深く頭を下げる。 吉昌はあまりに他人行儀な娘に、眉をしかめて口を開きかけたが、晴明の扇がすっと翳されて口を噤む。 「お爺様、父上に申し上げたくは、忌み子払いの件にございます」 忌み子払い。 双子を忌み子とし、『払い』を『祓い』にかけ、どちらかの存在を否定して遠ざけること。 の言葉に二人の顔は強張ったが、何を言わせる間もなくは続けた。 「高階惟矩殿が引き取りを願い出ていることは存じております。安倍を出る者は、この冬華になりますよう、どうぞ取り計らって下さいませ」 「………わしも吉昌もお前たちを手放すつもりはないよ」 晴明の言葉には首を激しく振って、口早に切り返した。 「なりませぬ。忌み子と知れると昌浩の、安倍家の名にも傷がつきます。幸いわたくしは女性ゆえ、表に出て血筋が明らかになることもございません。高階の家に入れば恙無く事態は収まりましょう」 顔を上げて見合わせた視線には悲しそうなものはあるものの、承諾の色はない。 「父上、お爺様!忌み子は恐ろしい存在にございます!どうか―――」 私があなた方を傷つける前に。 言葉にならなかった部分は晴明や吉昌には伝わらなかったであろう。 言葉なくとも。 ひたと見据えてくる瞳の痛々しさよ。 痛ましそうに視線を向けて吉昌は末娘に口を開いた。 「冬華、何も心配することはない。父上も私も忌み子などは気にしていない。揃い子が何だと言うのだ」 吉昌の言葉にくっと目を見開いたは、体の脇の土を掻いた。 震える喉が血を吐くような声で悲痛な叫びをあげる。 「冬華は、冬華は鬼にございます……!」 驚いて見開いた視線から目を逸らし、荒げた声で言い募った。 「かように言霊を操る幼子がおりましょうや!?」 「冬―――」 「十二神将の目すら欺く術を使う子どもが、ただの人であるはずなどないことを、誰よりもその身に従えるお爺様こそご存じでしょう。災厄を招かないと何故言えましょうや。どうか、どうか!安倍を出ることをお許し下さいませ―――!」 地に頭を擦り付けるようにはひたすらに懇願した。 晴明と吉昌は困ったように視線をあわせる。 何がこの子どもをここまで追い詰めるのか分からない。 この度の奇異に自らの愛孫、愛娘が関わっていようなど想像もつかぬ。 「許さぬよ」 訪れた静寂に一滴の水を落とすように晴明は静かに告げた。 びくっと小さな頼りない肩が晴明の前で揺れる。 「許さぬ。その必要もなければ行く先も最早ない」 行く先。 高階家が欲していたのではなかったか。 吉昌と、二人の訝しげな視線を受け、重々しい声で答えた。 「先ほどの神将からの報告によれば、高階惟矩殿は牛車での出仕の際、突如の暗闇が招いた混乱のさなか、事故にあわれて亡くなられたとのことじゃ」 吉昌は声もなく驚き、は極限まで見開いた瞳に絶望の影を浮かべた。 「この先、誰が何を言おうとも、わしはお前たちを手放すことはせぬ」 はっきりとした、喜ぶべき言葉に、絶望に染まった瞳のは自失したまま力無く顔を伏せた。 その汚れた頬に涙が新しい筋をつくる。嗚咽とともに肩を震わせ始めたはもうこれ以上何を言う気力もないようであった。 露樹に手を引かれて邸に入り、体を清めている時も、次から次へと溢れる涙を拭うこともしなかった。 の心にあるのは、多くの罪の意識、そして僅かに残されてしまった光への恐怖。 吉昌が事態の収束に再び陰陽寮に出仕し、室でひとり考え込む晴明。 晴明は聡すぎる孫娘がどれほどの思いをのせてこの訴えをしてきたのかはわからない。 しかし、あの孫は自分の為に悲しむことを忘れてしまったような目をしていた。 狐の子と囁かれ、どこか他人と交われなかった晴明。 自分でも知らぬうちにその心は冷たく凍りついていた。 恐らくは、自分はあの頃、今の孫の瞳をしていたのだろう。 それを溶かしたのは、最愛の妻と友の存在。 自らを鬼と称した孫。 その真意はどこにあるのか。 ただ、あの子の心を溶かす存在があることを願う。 |
一章完結 2009/3/31 移動・修正 |
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