冬薔薇の棘を身に纏え




年を重ねて早三年。

成長を寿がれ迎えた、その儀式。
最中に起きた些細な出来事。

引き金は何か。

心に抱えた傷は、いつ何時起こるやもしれぬ、恐慌の前兆。




一章  肆

昌浩の面倒を紅蓮とでみるような日が続き、退屈する間もなく三年の月日が流れた。
符を破いたり髪を引っ張ったりとにかく悪戯小僧だった昌浩も、紅蓮の躾のおかげか、素直ないい子に成長していた。
は相変わらず年不相応な落ち着きではあるが、将来が楽しみなほど愛らしく成長している。
昌浩と違う涼やかな目元など、十二神将をして晴明に生き写しと言われるほどだ。

そしてとうとう昌浩とは何事もなく着袴の儀を迎えた。
ちなみに、元服や裳着と違い、着袴の儀は男女関係なく行う儀式である。
日取りのみならず、初袴の色合いまで、あーでもないこーでもないと、父である吉昌をそっちのけで晴明が張り切って決めたそうだ。

祖父に袴の帯を締めて貰い立派な童姿になった昌浩と、朱袴に五襲を着て垂髪の童女姿になった
喜ばしいこの日に親族一同、縁ある貴族が祝いの酒宴に集まった。

賑やかな大人達とは対照的に、初めての人前で見せ物にされて疲労困憊した二人は晴明の部屋で休んでいた。

「つかれた・・・」
「うん」

思わず呟いたに昌浩が頷いた。
女である冬華よりも、将来性を考えて陰陽師になりうる昌浩のほうが貴族たちの興味の的になることが多かった。


二人して祖父の傍らで庭を眺めていたが、昌浩が垣根の向こうにふよふよと漂うものがあるのに気付く。
常日頃から見えていたそれを、昌浩は傍らの晴明の衣の袂を引いて尋ねた。

「ねぇ、あれなぁに?」
「あれ?」

訝しげに眉を寄せる晴明に、昌浩は庭を指差して重ねて問うた。

「ほら、あれだよ。あの、くろいの」
「お前、あれが見えるのか・・・!」

昌浩の指先を目で追った晴明は、ひどく驚いた声を出した。
それに不思議そうに首を傾げる昌浩。

そんな二人の様子を見ていたも昌浩の言う『くろいの』に視線をやった。
そこには、脆弱な妖がいた。
あまりにも矮小で誰も気にとめず、知能すらあるかどうか怪しい存在だ。
昌浩は黒い靄にしか見えていないだろうが、の目には蟲のような姿に見えていた。

(・・・害はないな)

の思考とほぼ同時に鋭利な拍手が二度響いた。
一定の距離までその『くろいの』はさぁっと遠のいていく。

「…さて。お前はどうしようかのぅ」

少々困った顔で晴明はひとりごちた。

「見えすぎるのも、困りものか・・・・・・」

しばらく思案するように眉根を寄せて、おもむろに昌浩の視界を覆う。
小さい声で何事かを呟き手を離すと、昌浩はゆっくりと視線をめぐらせてあたりを見回した。

「くろいの、見えなくなっちゃったよ?」
「それでいい」

晴明は言いながら昌浩の頭をくしゃりと撫でて、大人しく控えていたに視線をやった。

「冬華は見えておるのか?」

見える、と言おうとしたは、昌浩の言葉を思い出して、愕然とした。

見えなくなっちゃった?
それは見鬼を封じられたということ?
封じの術は。

――――駄目。

目の前にちらちらと赤色が映る。

「冬華?」

怪訝に名を呼んだ晴明に、は震えながら首を横に振った。

「・・・見え・・・ません」

明らかな嘘。
俯いて目を合わせず、言葉も震えていた。
数拍の沈黙のあと、の頭にも昌浩と同じように手が乗せられた。

「・・・そうか。困ったことがあったらすぐにじいさまに言うんじゃぞ」

垂髪を乱さぬよう優しく優しく撫でられて、久方ぶりに涙がぽろぽろとこぼれた。

「じいさま、ふゆかなかせちゃだめだよ!」

兄気取りで晴明に訴える昌浩。
それに晴明は目を丸くして、それから笑った。

「そうかそうか。昌浩や、冬華のことはお前が守るんじゃ」
「うん、おおきくなったら、じいさまのおしごとをてつだって、ふゆかをまもるよ!」

そうかそうかと嬉しそうに頷く晴明。
無表情のしたに僅かな照れを隠しきれない、
そんなの手を握って兄をやっている昌浩。
やがて昌浩とは祖父にそれぞれの手を引かれて、祝いの席に戻った。

この後起きる、出来事など誰の心にも浮かばなかった。



理なき罪の子よ。

その咎を償う時がきた。
鬼に堕ちるも、心根次第。

されど、ゆめゆめ忘れることなかれ。

神は人の命運を背負わない。
その心が是とする道に、己が責にて歩みを進めよ。
さすれば、いずれ道は開くだろう。

終末にたどり着いて。

泣くも笑うも。

好きにするがいい―――――