やはり存在が罪なのか。 魂の業、星宿の運命。 己が害悪となるならば、迷うことなく切り捨てよう。 他者が害悪となるならば、迷うことなくこの手で、切り捨てよう。 誰であろうとも、許しは、しない。 一章 伍 日の出と共に仕事を始めて日の入りに終える。 父、吉昌や兄達が大内裏に出仕した後、朝餉を終えて部屋に戻ったは、西の端にある自分の部屋から、塀の向こうに一台の牛車が停まったのを見えて、思わず顔を歪ませた。 着袴の儀から三週間、ほぼ毎日のように訪れるあの男がは大嫌いだった。 あの男が来るたびに晴明も吉昌も暗い顔をする。 母や年の離れた兄達は客からと昌浩を遠ざけているようだが何の話かは初めて来た日に盗み聞いてしまった。 今日は母、露樹に手を引かれて、晴明の居室から一番離れた部屋に連れていかれた。 昌浩は物忌の次兄が相手しているようだ。 「冬華、お祖父様はお客様と大切なお話がありますから部屋から出ないで静かにしているのですよ」 露樹の言葉には黙って頷いて、茵に腰を下ろした。 露樹が部屋を出ていって、は小さく息をついた。 晴明をも凌ぐ見鬼の瞳であたりを見回し、隠形した神将がいないのを確かめる。 神将だと感づかれる恐れがあるため、術を使うのは危険だ。 両の手のひらをぴったりと合わせて、静かに目を閉じた。 「言の葉、言絃、言の撚り糸。万の言の葉、たぐえ給いて、聞かせ給え…」 あたりがしんと静まり返った中で、艮の方角の祖父の部屋から聞こえる音をにだけ聞こえるようにする。 『晴明殿、お気持ちは分かります。さぞお辛いことでしょう…されど双子は忌み子でございます。かの大陰陽師、安倍晴明様に忌み子の孫がおるなど公にできましょうか』 表向きはあくまで殊勝な男に、は無意識の内に舌打ちをした。 『先日の着袴の儀を同じに行ったことですでに知る者はおりましょう』 『わしは双子が特別意味のあるものとは考えておらぬよ』 『なんと!晴明殿、なんということをおっしゃる。双子は古来より不吉の兆候と言われております。なんでも、双子のどちらかは鬼が生まれ来る魂を割いて化けたものとか。放っておけばこの家のみならず国に災いを齎すやも知れませぬぞ』 何度も何度も大げさに語り、遠まわしに安倍家を責める。 男の素性をはすでに知っていた。 高階惟矩。 今でこそ安倍家と加茂家が陰陽寮を二分しているが、奈良の都の頃は高階家という一族が今の安倍家のような位置にいた。 しかし時が経つにつれ、才あるものも少なくなり、今は官位を金で買うような貴族に成り下がっていた。 金はあるため位は高いものの、最早陰陽師一家としては機能を果たしていない。 そこで目論んだのは他家から才ある者の血を取り入れることである。 それも公にはいかにも自分の一族からその優秀な者を出したかのように。 『流石に命を奪うのはあのような幼子には酷でしょう。私の一族に片割れを預け遠く関わりなきように育てては如何か。もちろん他言は致しませぬ』 双子を公にしたくないがために子を手放すならば、高階家が自分の一族と言い張ろうと反駁することは出来ない。 そこまでを計算に入れて、高階は双子のどちらか、出来れば男である昌浩を無理にでも引き取ろうと言っているのだ。 「……浅ましい」 思わず侮蔑の言葉がの唇から零れた。 醜い男。 かつての父を思い出すほど。 否、正統な血統と実力を重んじるだけ、橘の当主の方がマシか。 『よくよくお考え召され。忌み家として排されるのはお望みではないでしょう?』 術を打ち切って、慇懃な声を思考から追い出す。 言外に脅す口振り。 陰陽師は位も低く、恐れられてはいても、実質は貴族に頭を下げねばならない。 高階がどれほどの一族なのか、は知らない。 平成に残る異能の血脈は、安倍家を始まりとする土御門、最も古い加茂、後世より栄えた橘、さらに弱小を並べれば巨勢や蘇神か。 高階家など名すら残っていなかった。 だがそんなことはどうでもいい。 問題なのは、高階家が。 邪魔、ということ。 二刻ばかり居座った高階家の男は、正午には帰って行った。 明日、再び訪れるという言葉を残して。 「……もう二度と来なければいい」 遠ざかる牛車を睨みつけて、呟いた言葉は、自分でも驚くほど低い声が出た。 自分と昌浩の着袴を同時にやった祖父を恨みたくなるが、それはもう過ぎたこと。 何とかして、昌浩を諦めさせる手をうたねば。 は自分の知るものに比べ、はるかに映りの悪い鏡をその幼い手にとる。 そこに映るのは、安倍晴明の血を感じさせる顔。 兄は、昌浩は晴明の奥方、つまり祖母に面差しが似ているらしい。 兄の、昌浩の存在。 安倍晴明唯一の後継として育つべき昌浩。 『冬華』に光を与えてくれたもの。 それを奪うなど許さない。 そう、許すことなど出来はしない。 例え、相手がどれほど位の高い貴族であろうとも。 かの者の幸福を妨げるのは許さない。 そしてそれは、自分自身に関しても同じこと。 鏡に映った『冬華』の口唇が、ゆっくりと弧を描いた。 |
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