冬薔薇の棘を身に纏え




立ちはだかる敵は異国の妖。

強き心と強き力と、強き絆をもって。

眼前の難敵を打ち果たさんと。
各々守るべきものを守るために。

臆することなく敵を追う。




二章  拾壱

空を見上げると望月に近い月が煌々と輝き、夜の都を照らしていた。

「時に疑問なのですが」

深い藍の狩衣を着たが、前で必死になって塀によじ登っている昌浩に声をかけた。
その服装に関してものの見事に動揺してくれた過去はさておき、 それは今のにとって問題ではない。

「門から出ればよいのでは?」

晴明相手になら説明がつくし、吉昌も同様、露樹だけは見つかったらやばいかも知れないが、こうやって手間をかけるよりはマシだと思う。

「いやあ、なんかけじめというか。冬華は門から回ってきてもいいよ」

妹を気遣っての言葉に首を横に振ると、塀から距離をとって助走をつけると、が組んで差し出した手のひらを踏み台にして体操選手のように飛び上がり、塀の上に着地した。
そうして上から昌浩に手を貸す。
昌浩の肩に乗っていた物の怪は惜しみない拍手を送ってくれた。


目的地がどこというのもなく、先頭をいく昌浩に従って西洞院大路を南に下る道すがら、一行は無駄話をしていた。

「……異国の化生か。さすがに予測不可能だったな」
「もっくんでも知らないこと、あるんだ。ものすごく長命で物知りで偉いんだって、豪語してたの誰だっけ?」

昌浩の突っ込みに物の怪が言い訳のような反論のようなものをする。
やはり末席とは言え神として通じるものがあるのか、要約すれば『異国のことなんざ知るか』というものである。

「だめだよもっくん、やっぱり向上心を持たないと。知らないことを勉強しないと、偏った知識でどんどん偏屈になっていって、しまいに性格まで悪くなって嫌われちゃうよ」

自分の言葉を名言だと感じ入っている昌浩は、と物の怪の表情の変化に気づかない。
物の怪は痛みを堪えるような、は自嘲するような。

物の怪はすぐに飄々とした口調になって昌浩をからかったが、の表情は変わらない。
遠くを見据えるような冷笑を口元に浮かべていた。


それは過去の自分への嘲笑。
橘の家に生まれたからには術者でなければならぬ、と。
狭い世界に閉じこもって盲目的に執着し、他のことには、自分の命すらも興味はなかった。
弟のことを言えないくらい自分の性格も歪んでいたように思う。

少なくともその歪みも少しは矯正されたように思うし、以前物の怪に言われた通り、昌浩には素直になることにしたから、この先どうなるかは分からないが。


「なあ、冬華。昌浩のやつ『瓶の水を移すが如く』を生き物の亀だと思ってたらしいぞ」

物の怪がの足元を四本足ですり抜けながら言うのに意識を戻した。
何時の間にか話は進んで話題が変わっていたが、その一言を聞いては大体の流れを理解する。

「……………兄上」

悲しそうな表情になったを気にした様子もなく、のんきに頷いていた。

「うわー、俺ずっと甲羅の亀だと思ってたよ。あ、でもそうか。かめの水を移すが如く、ってことは水を入れる瓶だよな。そっかぁ、いやー発見発見」

物の怪は地面に沈み込み、はそっと涙を拭い、それぞれの胸の内には情けない気持ちで溢れていた。

「……おいおい、しっかりしてくれ晴明の孫よ」

その言葉に対する文句はなくて、がちらりと視線を投げると、口調は軽くても表情は険しく引き締まっている。
まだ見ぬ脅威に緊張はしているようである。

東三条の邸で足をとめた昌浩にならって、も足を止める。
無言で邸を見上げている昌浩には悪いが、は通りすがるだけで邪気の有無を確認できる。
しかし昌浩のためには一つ提案した。

に中を探らせましょうか」
「いや、大丈夫だと思う。嫌な感じはしないし」

言って胸元に手を当てた昌浩。
それを疑問に思って物の怪に視線を投げると、身振りで答えてきた。

東三条邸を指差し、小さな袋を爪で宙に描き、匂いを嗅ぐような仕草をする。
つまり、東三条の姫がくれた匂い袋の残り香、と。

「……………兄上、匂い袋そのものは置いてきたんですか」
「ええっ!?何でわかったの!」

頬を赤らめてあたふたと動揺している昌浩はにとって微笑ましいが、物の怪にとっては微笑ましいどころか爆笑ものだったらしい。
白い毛並みが汚れるほど地面を転げ回っている物の怪を足蹴にするような素振りをした昌浩だったが、物の怪は素早くの足元に非難している。

「…………青春ですねぇ」

ほう、とため息とともにそう吐き出したに皆の視線が集まる。

「いやいや、冬華も青春真っ盛りの年齢だろ」
「冬華ダメだよ、そんな年寄りくさいことばっか言ってたら、じい様みたくなっちゃうよ」
「なりません」

昌浩のとんちんかんな突っ込みにさらっと釘をさしてから、精神年齢は行成や成親と同年なのに一気にそこまでいってたまるか、と思う。

「東三条邸はおじい様の結界に守られている様子ですし、安心して当初の目的を果たしましょうか」
「当初の目的?」

ぽかんと不思議そうに言った昌浩に、物の怪は再び地面に沈んだ。

「雑鬼に話を聞くって言ったのはお前だろうが!」

あ、そうか、と納得した昌浩は悪びれた様子もなく二三度頷くと辺りを見回した。
普段ならばそこらを蠢く百鬼夜行に遭遇しても良さそうだが、異邦の妖に怯えてか姿が見えない。
きっとねぐらに引っ込んで息を潜めているのだろう。

、近くには?」
「ここは根をはっていませんので確証はありませんが、気配はありません」

策敵が得意なですら感じ取れないというのなら、本当に近くにいないのだろう。

「異邦の妖が人を狙っているなら、左京を避けて、右京の人気のないところに隠れているのでは?」
「そうだな。この間の大髑髏がいた近くはどうだ?朱雀大路からちょっと入っただけのとこだし、そんなに遠くもない」

顔を見合わせた昌浩とはお互い頷きあって、進路を西に変更した。

「そうだ、冬華、危なくなったら逃げるんだよ?」
「おいおい昌浩、それは釈迦に説法ってもんだぞ」
「え?」

呆れたように突っ込んだ物の怪が、の表情を確認してから話し出す。

「経験の未熟さから晴明ほどとは言えないが、冬華のほうがお前よりよっぽど強い。術も強力かつ容赦のないものばかりだし、頭がいいから応用もきく」
「へ〜。まあ冬華はすごい頭良いし、知識もすごいし、連れてる式神もすごいし、運動神経も良いみたいだから別に驚かないかなあ」

物の怪の手前、無表情で通しただったが、内心は何を言われるかでビクビクしていたため、昌浩の口から予想外の答えを聞いたとき、思わず間の抜けた顔をしてしまった。

「じゃあ、遠慮なく冬華に助けてもらおっかな」
「……………兄の面目」

あっけらかんと言った昌浩の横で物の怪がぼそりと気にしていることを言う。

昌浩が気にしているのは、の考えている『劣等感』ではない。
『兄として頼ってもらえない寂しさ』だ。

に頼ってもらいたくなどなかった。
がどうだか知らないが、にとっては弟ではなく他人だった。

それが根本的な違い。

「要はあれだ、俺が一生懸命頑張って冬華に追い付けばいいんだ!」
「おー、頑張れ。どっちも素質は同じようなもんだ。何てったってあの晴明の孫なんだからな」
「孫言うなっ!」

言い返した昌浩は一人でズンズン進んでいく。
それを軽やかな足取りで追い掛けながら、物の怪はくるりと振り向いてに視線を合わせる。

それを受けて、はかなわない、と肩を竦める。
物の怪の夕焼け色の瞳は、「俺の言った通りだったろう?」と雄弁に物語っていた。




厳密に言うと、大髑髏がいたあばら屋はもうないので、それ以外の邸ということになる。
倒壊して残った木材は誰かが持っていってしまったのだろう。

明らかに誰も住んでない様子の邸に目をつけて、崩れた塀を乗り越えて侵入する。
中はかなり埃っぽいが、調度品も何もないため躓いて転ぶことはない。
ただし、昌浩やの歩みが立てる埃によって、ただ一人目線が低い物の怪が被害を被る。
盛大にくしゃみを連発して、涙目で噎せ返る物の怪の姿は本性からは想像出来ないほど愛らしい。

物の怪のくしゃみもおさまったころ、昌浩が不意に自分を見つめる視線に気がつく。

「……孫だ」

見上げた天井に並ぶ何対もの目が、梁や柱の影から姿を表す。

雑鬼風情に孫呼ばわりされた昌浩が不機嫌な顔になっても、雑鬼たちは更に続ける。

「孫だ、孫だ」
「知ってる、こいつ晴明の孫だ」
「大髑髏を倒したんだぞ」
「なに、あれをか。末恐ろしい」

どうやら昌浩が気になるらしく、からかっているのか誉めているのか分からないような事を好き勝手言っている。

「お、あそこに見えるは孫姫」
「ホントだー。祭り以来だな」

昌浩が群がってきた雑鬼を邪険に扱うと、雑鬼達はに意識を向けたらしい。

「え、冬華、知り合い?」
「まあ舞姫の折に。常寧殿で目の前に落ちてきました」

あまりにも遠慮のない行為に昌浩が唖然としていると、雑鬼の一部が不思議そうに首を傾げる。

「孫姫、口調どうしたんだ?」
「孫姫って言ったら超高圧的なド迫力の口調だろ?」
「孫姫というよりは孫女帝的な」
「孫女帝というよりは孫王的な」
「なんだぁ、兄の前だからって猫かぶっ!」

女の装いの時と違って装飾品を持たない今のは、遠慮なく片足で、しかも爪先で蹴り上げた。

「失礼。慣れない沓で足が滑りましたわ」
「ふ、冬華?」
「どうかしましたか、兄上」
「いや、あの、……………何でもないです」

昌浩の肩の物の怪が賢明だ、とでも言うように頭を二三度軽く叩いてくれる。

「しっかりしろー」
「傷は浅いぞー」
「お、おいらはもう駄目だ。最期に人間の餅が食いたかった………ガクッ」
「わあああー、死んだー!」
「今明らか口でガクッて言ったよな」

壁際に倒れた仲間を囲んで寸劇を繰り広げてくれた雑鬼に冷静なツッコミを忘れない昌浩は、案外ボケとツッコミを兼ねているのかも知れない。

「孫姫は冗談が通じねーなー」
「あれのどこが冗談でした?」

微笑んで言うの手には結界を結ぶための、地面に打ち込む特殊なクナイのようなものが握られていた。
あれを投げられたらさすがにマズいと悟ったのだろう、雑鬼達は素早く態度を変えてから距離を取った。


「そういや、こっちの孫もいっぱしに式持ちかぁ」
「孫姫の式神って堅物そうで近寄れないんだよな」
「ホラ、俺達って小心妖だからさぁ」

実はよりも物の怪の本性の方がよっぽど脅威なのだが、雑鬼たちは気付いていないらしい。

「もっくん、正体ばれないねぇ」
「まぁな。こんな連中に正体さらしたってしょうがないし…、どわっ」

慌てて物の怪が昌浩から離れた刹那、怪訝な顔の昌浩の頭上から雑鬼がボトボトと落ちてくる。
大量の雑鬼に埋まった昌浩に、は不憫そうな眼差しを向けた。

「逃げたな、もっくん」
「許せ。俺は自分が可愛い」

何とか体を起こそうと奮闘している昌浩を置いて、物の怪は近くの雑鬼に声をかけた。

「なぁ、お前。最近見知らぬ化け物にあわなかったか?」

静まり返った空気。

「……重い、いい加減どいてくれ」

その中で昌浩の声だけがいやに響く。

物の怪の手を借りて立ち上がった昌浩は、蛮蛮の特徴を述べて再度尋ねる。
途端にしゃべりだした雑鬼達を何とか制して、代表の三匹に話させた。

「俺はそんなの知らないが、牛みたいのなら見たぞ。羅生門の方で仲間がたくさんやられてる」
「え、それこそ知らない。鼠みたいなのは見た。お前らの大事にしてる建物に仲間を追い込んでとどめを刺したのがそいつだよ」

火事の真相にまだたどり着いていなかった昌浩はたいそう驚いた様子で目を見開いた。

「え、違うよ。もっとおっかないのがいるよ」
「えっ」

昌浩と物の怪は揃って声を上げ、その雑鬼は更にいい募る。

「ほんとだよ、すげえ怖かったんだから。でっかくて、身体に縞々の模様があって羽が生えてて」

言い終わらない内に妖気と共に声が降った。

『オモシロイハナシヲシテイルナ』

ばっ、と振り返った昌浩とが視認したのは蛮蛮。
上手く妖気を消されて、ここまで近づかれるまで気がつかなかった。

精々猫くらいの大きさの体に秘められた妖気は、今まで退治したこの国の妖よりも禍々しく絶大。
獣面のくせにねっとりとしたいやらしさを感じさせる表情。

その蛮蛮が軽く後ろ足で地面を蹴って。

「昌浩っ!」

険しい声を上げたに腕を引かれて態勢を崩しかけ、一拍おいて頬に熱を感じた。
二人の背後で複数の断末魔が上がる。

いつの間にか背後に移動していた蛮蛮に向き直って、二人は雑鬼達の死体を目にした。
は昌浩がショックを受けていないかと心配したが、案の定強張った表情で体も固い。

蛮蛮の動作から再びの攻撃を悟ったはとっさに身を低くする。
昌浩も反射のように何とかかわしていた。

蛮蛮の速度を肉眼でとらえるには些か無理があった。
攻めに転じる機会を伺っていたに狙いを定めて、蛮蛮が再び飛び上がる。
ほんの僅か反応が遅れたの眼前で、蛮蛮の身体が横殴りに吹っ飛んで壁に叩きつけられた。

眼前でゆらりとゆれる棘のある枝。
床板を突き破って生えたそれは、しゅるしゅると床を這って広がっていく。

『ジュセイフゼイガ………!』
「こっちの台詞です。妖風情が調子に乗るんじゃありませんよ」

に狙いを定めた事はの逆鱗に触れたらしい。
飛び上がって攻撃をしようとする蛮蛮の周りから次から次へと枝が串のように突き出し、空中に逃げても追撃していく。

埒があかないと見たのか、から標的を変えて昌浩を襲う。

「「昌浩!」」

物の怪との重なった恫喝に、昌浩は真言を叫んだ。

「オンハンドマダラ、アボキャジャヤニソロソロソワカ!」

不可視の壁に阻まれた蛮蛮は後ろに弾き飛ばされて、その位置を狙っての術が飛ぶ。

「オンキリキリバサラバサリブリツ、マンダマンダウンハッタ!」

同じく不可視の杭を蛮蛮の片足に打ち込むが、四方杭のうち三本はよけられてしまった。

「ちっ、的が小さいか」

再び昌浩へと向かう蛮蛮の前に毛を逆立てた物の怪が立ちふさがる。

『ドケエェェェェ!』

その妖気だけで邸全体を軋ませながら、蛮蛮は雑鬼達を足蹴にして物の怪へと突進する。

「やなこった!」

律儀に返事を返した物の怪の額の模様が紅く発光し、闘気が風を起こして蛮蛮へと放たれた。
その背に深い亀裂を刻まれながら、なおも突進しようとした蛮蛮を阻もうと飛びかかった勇気ある雑鬼がいた。
もちろん、阻めるわけもなく、弾き飛ばされた雑鬼に昌浩の悲鳴のような声が飛ぶ。

「ばか!」

はちらりとそれを横目で見て、昌浩は優しすぎる、と分かっていたことだが再確認した。
昌浩は雑鬼達の命を無造作に踏みにじる蛮蛮が許せないのだろう。
確かにそれは残酷かつ傲慢な行為だとも思う。
しかし、それで胸を痛めるほどではない。

「万魔拱服―――」

は懐から抜き出した符を構えて、蛮蛮を見据えた。
ちょうど物の怪に叩き落とされた姿を見つめて、今度こそ当てる、と腹に力を入れる。

「「急々如律令!」」

と昌浩の声が重なって邸に響く。
二人とも全く同時に同じ技を繰り出していた。

「やったか!」

手甲のついた手を握り締めて、勝利を確信した昌浩だったが、がいや、と小さく呟く。
全身から血を噴き出していても、蛮蛮の殺気は消えていなかった。

『チョコザイナ……!』

昌浩が殺意に気圧されて後ろに脚を引くと同時に、蛮蛮は絶叫と共に体を拘束する霊気を弾き飛ばした。
予想以上のことに昌浩もも一瞬呆然となる。

嫌な臭いのする血だまりの上で蛮蛮はにぃ、と嗤うと瞬時に姿をくらました。

咄嗟に後を追ったと、雑鬼達の元に駆け寄った昌浩の体がすれ違う。
思わず足を止めたは、物の怪を見下ろして告げる。

「私は、追います」
「分かった。恐らくはねぐらへ向かうはずだ。俺たちも雑鬼から話を聞いてすぐに追う。気をつけろ、油断するなよ」

それに頷いては全速力で駆けだす。

けっして物の怪がよりも昌浩を優先したというわけではない。
自身の実力、経験、の存在を考慮して、自分が昌浩の傍に残るべきだと判断したのだ。
そしての性格を知っているから、深追いしたり、危険でも踏みとどまるということがないと分かっていたのだろう。
それに昌浩もも一度こうと決めたら絶対に譲らない。
彼らの優先順位は先ほどすれ違ったのが如実に表すように、全く正反対であった。

この暗闇で血の跡は見つけられないが、嫌な臭いともはや隠す気もない様子の妖気で追うのは容易い。

「おい、死ぬなよ、目ぇ覚ませよ!」

後ろに昌浩の声を聞きながら、巨大な犬の姿になったに飛び乗った。