無常の風は時を選ばず








「…………と、僅か数分だけどね、会ったことがあるの。あなたが私にくれようとしたものって、あれ、でしょ」

奈津樹が指したのは和室の四隅に額に入ってかけられている、札。

異形がこの離れまでつきまとうことがないように、呼び込むことがないように、四方陣にて結界が織られている。

そう言えばそんな事もあったか、と思い出しかけただったが、四歳の頃は、母が精神を病むまで抜け殻のように過ごしていたから記憶は薄い。
まともに会話した記憶も少ないのだ。

「ということは、当主から俺が無能だと聞いているわけですか。だから、橘の姓を持っている俺が危険なのも知っていると」

無言で首肯した奈津樹には目元を緩めた。
笑んだわけではない。
諦めたかのように表情から力が抜けた。
無表情でもなく、皮肉げでもない疲れきった顔。

今度はぽつぽつとが語り始めた。

「橘家はここ何代か、二つの問題に悩まされて来ました」

一つは一族全体の才能が低下していること。
今では橘の名を継ぐ術士よりも、術を会得した門下生の方が勝ることもある。
直系ではなく傍系ならばなおのこと。


「そんな中で、直系嫡男が『無能』で生まれるなんて、橘家の行く末を暗示するようにも思えたんでしょう。正直、風当たりは強かったですよ」

風当たり、で済まされるようなものではなかった。
生かされていたのは二つ目の問題のため。


「二つ目は………子どもが、少ないんですよ」

理由はわからない。
女は生殖機能に異常をもって生まれるものが多く、男系で子が産まれてもせいぜい二人。

当主である父は一人息子で、故人である祖父には妹が一人いるが、そのにとって大叔母にあたる人には子がいない。

実質、後継ぎになりうるののどちらかとなる。

能力は皆無といえ、万が一に何かあればが必然的に唯一の直系として、当主の座に納まる。
逆もまた然り。

血を絶やさぬ為には、種馬として生かさなければならないのが現状だ。

「鳶が鷹を産むとも言いますからね、俺の子が無能かどうかはわからない」
「随分悟ってるのね」

それに無言で微笑みを返して、は湯のみを盆にのせた。

「安心してください。必要以上に関わりませんよ。それに…………高校を卒業したら飼い殺される」


「それって…………!」
「俺は自分の身すら守れないのに、何かを手に入れようとは思いませんよ」


ひらり、と手を振って、は台所に姿を消した。
それをじっと見送った奈津樹は引き際と悟って立ち上がり、静かに離れを後にした。

はぬくもりの残る座布団を片付け、そのまま再び卓を片した。
今日はもう、何もする気が起きなかった。
布団を出すでもなく、畳に体を横たえると、低い目線から窓を見上げる。

「くそったれ」

四角く切り取られた空の青はの内心など知らず、相変わらず爽やかだった。





「兄さん」

断りもなく玄関の戸が開かれ、居間の襖を開ける者がいた。
空が紅くなるまでただ見つめていたは、視線だけをそちらに向けて、白い靴下を履いた足を見る。
体を起こして見上げると、どこか歪んだ笑みを浮かべたがいた。

「………………何の用だ」
「随分しなびた表情してるね。疲れた?あれしきの怨霊で」
「何の用かと聞いている」

淡々と言葉を重ねるに軽く肩を竦めたは、ポケットから取り出した右手いっぱいの何かをに投げつけた。
とっさに顔を腕で覆ったの体に当たって、それはまるでビーズを散りばめたようにばらばらと落ちていく。

床に広がったそれは#が今日使った呪具の数珠。
一つ一つ、水晶は見る影もなくひび割れて濁っている。

「説明してよ。………………これは何?」
「数珠の精霊石だな」

見たままを言うの襟元をが掴み上げる。

「そんな事聞いてるんじゃないってことくらい、聡明なお兄様なら分かるよね?どうしてアンタが、アンタがあの人の呪具を持ってるかってことだよ!」

グイッと胸ぐらを引き寄せられて、の顔が鼻先が触れそうなほど近くなる。
至近距離での顔を見ながら、は小さく何もかもに諦めたような溜息をついた。

まったくもって似ていない兄弟だ。
が母方の祖父似、つまり西洋系の容姿をしているのに対し、は父方の祖母似、色の薄い瞳以外は純日本人の容姿をしている。
呪術者の家系、昔は魔女と呼ばれていた家系である母方の一族ならば、はその占星術の能力を買われて重宝されるだろう。
しかし、退魔調伏を生業とする橘家では、霊力の高いこそが望んでいた存在だ。

一族――――といっても直系はごくわずかなのだが――――の中には異国の血を入れたことによって橘家に伝わる霊力が失われた、などと古臭い考えをしている者もいるようだが、それは両親の結婚を強制的に執り行った先代当主に言って欲しい。

「何ボケっとしてんの?聞いてる?
「聞いてる。………その呪具は当主が持ってきた。文句はあの人に言え」

それを聞いたは一瞬の激昂を瞳に浮かべると、突き放すようにを掴む手を離した。
特に抵抗をすることもなくどさっと畳の上に体を落とすを蔑んだ瞳で見下ろして、ただ一言、情けない、と罵った。

相手がどこかの不良だったら、胸ぐらをつかんでいる時点でに投げ飛ばされるのがオチだ。
いざ、体術で喧嘩なんかしようものなら、の勝ち目は皆無。
頭脳、体力ともに文武両道を地でいくに、普通のことで勝負しては勝つことが出来ない。
唯一ともいえる強みは霊力だけだ。

それなのには何を言われてもそれを疲れた表情で甘受し、弟に手を上げることはない。

それもまた、憎らしかった。


「じゃあね。腑抜けたお兄様。次は怨霊が殺してくれるといいね?」

皮肉たっぷりにそう言い残しては離れを後にした。
それに対してもが何かの反応を返すことはなかった。