玖 奈津樹は同年代の子どもに比べ、聡明で勘のいい子どもだった。 ただ、どこか人とは違う所を見ている姿が、家族や教師を心配させた。 そのことを問い尋ねると、奈津樹はただ一言、いるの、と答えた。 幼心に容易く口外していい問題ではないとわかっていたのだろう。 見る光景を誰にも言うことなく、奈津樹は七歳になり、弟が生まれた。 弟は奈津樹のように『見えざるもの』を目で追うことなく、それに奈津樹は安堵していた。 『視る』ということは、決していいものではないから。 それから暫くして、奈津樹の周りでたびたびおかしなことが起きるようになり、怪我人が出ることも珍しくなかった。 奈津樹が小学校高学年になるころには、その回数はもはや無視できない程になり、両親は医学的専門家から心霊的専門家にいたるまで、あらゆる手を尽くして原因を解明しようとした。 どこから情報を仕入れて来たのかは分からない。 奈津樹は父親と共にある旧家を訪ねた。 そこで奈津樹をよそに父親は穏やかな青年に状況を語っていた。 若い女性がお茶を出しに来て、また違う女性が茶菓子を置いていく。 不思議に思った奈津樹は、家族なの、と聞いた。 それに対し、青年は貼り付けたような笑みを浮かべて門下生でございます、と答えた。 橘家は代々続く古神道の一家であること。 祖先が厳しい修行を重ね、退魔師としての力を手に入れたこと。 その血を通して霊力が受け継がれていること。 それを誇らしげに語る青年は、自分の才能を伸ばす為にここで修行しているのだと言った。 話が礼金に及んだあたりから奈津樹はつまらなくなって部屋を抜け出した。 庭を抜けて、随分と広い敷地を探検してまわった。 母屋の周りを一周して見ようと歩いてみると、母屋の影にひっそりと隠れるように小さな離れが建っていることに気づいた。 奈津樹が興味を惹かれたのは、玄関の前にお盆にのった食事がおかれていること。 奈津樹が離れに近づいた時に、カラカラと玄関の戸が開いた。 小さな少年が、お盆を取り上げ、すぐに中に引っ込む。 とっさに奈津樹はその少年を呼び止めていた。 美術室の彫像のようにウェーブを描く柔らかそうな栗色の髪。 同様に彫りの深い顔。 だから、その少年の口から言葉が紡がれた時、奈津樹は日本語だと識別出来なかった。 「……………何ですか」 邪険というよりも怪訝といった感じでぽつんと呟かれて、特に用もなかった奈津樹は慌てた。 「門下生なの」 うろたえた先にやっと出た言葉は先ほどと反対。 少年は緩やかに唇を釣り上げて、いいえ、と答えた。 「息子です」 つい、と母屋に向けた少年の視線には、複雑な色がちらちらと窺える。 その色をどう表現していいかわからず、奈津樹は長い時間をかけて少年の横顔に話しかけた。 「寒くない?」 「……………?」 奈津樹の顔に視線を戻した少年は、わけが分からないといった様子で首を横に振った。 少年がぷい、と踵を返して家の中に消えていく。 どうしようもなくなった奈津樹もしばらく立ち竦んでいたが、少年はすぐに引き返してきた。 腕に抱えた厚手のジャケットを、奈津樹にぐい、と突き出して、小さな声で呟いた。 「え?」 聞こえない、と言いかけた奈津樹を置いて、今度こそ少年は戸を引いて中に駆け込んでいってしまった。 「お嬢さん」 落ち着いた低めの声が背中にかけられて、腕にジャケットを抱えたまま、奈津樹は肩をびくり、と跳ね上げた。 振り返って見上げた先には青鈍色の着物を着た背の高い男性。 その後ろに続く父よりも十は若く、三十路をこえた頃か。 「奈津樹、勝手に入り込んじゃ駄目だろう」 父の咎めるような声を出すが、男は気にしたふうもなく、構いませんよ、と告げた。 口調が静かな割に、薄ら寒いものを窺わせる瞳で離れを見上げる。 「何を見たのかな」 子供に語りかけるように言う男は、場の雰囲気を張り詰めた糸のようにしてしまう気配を持っていた。 「お、男の子」 「上の息子でね、嫡男でありながら何の特技もない。それでも迂闊に死なせるわけにはいかないのがなんとも面倒だ………と、失礼。私的な事を言ってしまいましたね」 淡々とした明らかに『本心』とわかる口調に、奈津樹も父も身を竦ませた。 「それは?」 抱えているジャケットを見た男が眉を顰めて、奈津樹は思わずぱっと手を放してしまった。 バサッと落ちたジャケットを慌てて拾い上げると、内にくるまれるようにしてあったものがバラバラ落ちた。 墨痕鮮やかな毛筆でしたためられた札が四枚。 「きみから感じる邪気を気にして、自分の結界符でも譲ろうとしたんだろう」 男はそれらをジャケットごと離れの前に捨て置いて、奈津樹らを母屋に促した。 |
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