捌 電話が鳴っていた。 着信は内線。 その音では夢から覚めた事を知る。 もぞもぞと立ち上がらないまま、受話器を上げた。 「…………はい」 「お客様です。裏口に廻っていただきました」 聞いたことのない声だが、母屋の家政婦か弟子の一人だろう。 はさして気にせず受話器を下ろし、寝る前に比べ随分すっきりとした心地で布団を上げた。 頃合を見計らったように、玄関のチャイムが鳴った。 珍しい『本物の』来客に首を捻りながらも、玄関の戸を不用心にも開け放つ。 「どちら様ですか」 いきなり顔を出したに驚いた様子で、眼前の女性は瞬いた。 女性。 年齢二十歳以上。 記憶にナシ。 頭の中の記憶と照らし合わせて出た結果は、こんなもの。 「…………槙原晃樹の姉、奈津樹です」 今度はが驚く番だった。 本人が家を訪ねてくるなら考えられなくもないが(出来れば全力で拒否したい) 、その姉が突然家に来る理由は思い付かなかった。 「何かご用ですか」 随分気の強そうな外見の割に、奈津樹は困ったような表情で、何かを言いかけては口を噤んだ。 「晃樹に、弟に近寄らないで頂戴」 無礼とも言えるその一言で、はすべてを理解した。 「………むしろこちらがそれを望んでるんですが。それにしても、よくここが分かりましたね」 の自嘲混じりの口調に、奈津樹は眉根を寄せた。 「今日、晃樹が腐臭を漂わせて帰って来たわ。私も感じるタチでね、ここにお世話になったことがあるの。あなたにも、逢ったわ」 「………中へどうぞ。今回の事は俺の落ち度ですからお茶くらい出しますよ」 奈津樹は離れを一度見上げると、背を向けたの後に続いた。 奈津樹は不躾にあたりを見回すこともなく、真っ直ぐの背だけを見据えて、を品定めしているようだった。 初対面の人間にはどのような印象を与えるだろうか。 まず、整った欧米風の彫りの深い容貌にたいていの人は惹きつけられることだろう。 そして次は意外にも160センチに達していない小柄さに驚くに違いない。 しかし、等身のバランス、落ち着いた表情から、一見二十歳をこえているようにも見える。 非常にアンバランスな存在で、さぞ見る人の好奇心を煽ることだろう。 しかし、下手に踏み込めば、こっちが怪我をする……。 奈津樹はそれら全てを除外し、本質を見極めようとする。 が和室に奈津樹を導き入れて台所に消えても、その視線の鋭さは変わらなかった。 「座らないんですか」 奈津樹は自分が出された座布団の上に仁王立ちしていることに気がつく。 は手に不揃いな湯呑みを載せた盆を持っている。 腰を下ろすに視線を合わせるようにして、奈津樹も座布団に正座した。 「それで?説明したほうがいいですか」 湯呑みを片手に淡々と言うに、一瞬奈津樹は気圧されて肩が震えた。 別に睨まれているわけでもないのに、ここまで迫力があるのは何故だろう。 「だいたいは分かってるわ。狙われたのはあなたなんでしょう?橘だものね」 「ええ、前々から何かいるなとは思ってましたが、まさかあそこまで強くなってるとは思いませんでした」 精霊石の結界も一時的にしかだめでしたね、と言っては喉を潤す。 「『それ』はもう大丈夫なの………?」 恐る恐ると聞いた奈津樹にが皮肉げに唇を歪めた。 「弟の式に粉々にされましたよ」 あの時屋上から滑空するように飛び降りてきた怨霊は、精霊石に霊体を削られるどころか、邪気を増していた。 は退けられない、と覚悟して、とりあえずは晃樹をこの場から引き離すことを優先した。 過去の経験から、狙いはあくまで自分だけだろうと思っていたからだ。 だから、対峙しても気を失わないで済むように、邪気祓いの伽羅を纏った。 しかし、怨霊が伽羅を厭って、を避けて晃樹に迫った時は、肝を冷やした。 頭の中がカッと熱くなって、色んな選択肢がかけめぐっても、結局は何も出来なかった。 ただ目の前で、炎を纏った大きな獣の脚が怨霊を踏み潰し、灰にするのを見ていただけだった。 語るに一切口を挟まず、非現実的なことを疑う素振りも見せずに、奈津樹は耳を傾けた。 「橘をご存知なのに、どうして俺が祓わないのか、とは聞かないんですね」 が試すように言うと、奈津樹はゆるゆると首をふり、自分の幼少期を語り出した。 |
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