十数分ほど走って、一番近くの、藍家の御曹司が泊まるには相応しくない宿に着いた。 店主に金を握らせて必要な用意をさせ、ちなみに口外も禁じ、趨駿の世話を任せる。 寝台に凭れるような体勢になったは止血に使っていた布をはがすと、汚い傷口に酒をぶっかける。 思いっきりしみて、声もなく悶絶した。 「クソヤロー、医者がいないたぁ、どんだけド田舎だ、ここは。俺は医療技術最先端の日本生まれなんだぞ、傷口を裁縫の糸で縫うとかマジありえないから。つーかこれだけの怪我して気絶しない俺の神経褒めてほしいね、誰か」 何か喋ってないと心が挫けてしまいそうで、ぶつぶつ文句を垂れながら煮沸した湯で消毒した針に、同じく消毒した糸を通す。 傷口を酒を染み込ませた清潔な布で拭いて、はーっと深く息を吐き出す。 「つーか、順応力高すぎだろ、俺。たいていこういう異世界トリップって主人公挫けて仲間に支えられるんじゃなかったっけ?だれかお助けキャラとか。宿に着いたら影の奴すぐ姿消すし。すぐさま針と糸に思考を向けれるあたり、かなりこの世界の考え方に毒されてる気がする」 運よくというか、傷口は下を向けば視認できるあたり。 取り敢えず患部の消毒は済ませたから、後は傷口を縫い合わせて止血、自然にくっつくのを待つだけだ。 「ちょっと待って、マジでカルチャーショック感じてない自分が怖いんだけど」 は覚悟を決めて、縦に走った五センチほどの傷口の端に針をさす。 「いて!」 すーっと糸を引っ張ってまたぷす、と針をさす。 「いっ!うっ!ひっ!」 刀が刺さった痛みも凄まじかったが(というよりも今もビンビンに凄まじく痛いが)、こういう何度も来る痛み、しかも自分がやってるんだと思うと泣きたくなってくる。 十数針ほど縫った後に、きゅっと玉を作って結んで、長い分の糸を切る。 「はーっ。ある意味拷問だぞ、コレ」 布を当てて包帯で上から丁寧に患部を巻き、半裸の上体に衣をはおる。 「絶対逞しくなりすぎだろ、俺。俺はともかく慧がこの世界で生き残れる確率が限りなく低いんじゃないかと思い始めたぞ。それにしても、薄情な奴だな、あの影」 腹を押さえながら寝台に横になると、片手で毛布を引き上げる。 シミのある天井を見上げながら、一応兄貴たちに手紙出さなきゃいけないよな、なんて思って瞼を閉じた。 「あー、いてー。はんぱねーよ、マジで」 傷を素人手つきで縫い合わせて一週間。 傷は相変わらずじくじくと痛み、怪我の為か、は高熱に悩まされている。 結局宿を移すことも出来ぬ体調で、茶州の外れの安宿に泊まっていた。 茶家の追っ手はというと、影が何やらやってくれたのが、第二陣は一向に来ない。 「お客さん、頼まれたもの持って来たよ」 宿の女将に色々入り用なものを言付けて、なんとか熱を下げようと思うものの、今のところ効果ナシ。 「お医者様に見せた方がいいんじゃないかい?」 「この村には医者はいないんだろう」 山裾にあるこぢんまりとした村だ。 人も少なければ、店も少ない。 「そうなんだがね、どうやら村はずれの寺に世話んなってる旅人がお医者様らしいんだよ」 女将はそう言い残して部屋を出ていった。 「村はずれの寺ねぇ………。本当に医者なら宿に泊まるだろ、フツー」 とかいいつつも、は寝台から起き上がって荷物を纏め始めている。 熱が続くここ数日、食欲の低下にも悩まされていたは、立つのがやっとな有り様で、藍家を出た時にコンパクトに纏めたはずの荷物すら手首に紐を引っ掛けて地面をずるずる引きずっている。 「今襲われたら間違いなく死ぬぞ、これ」 階段を一段降りるたび、傷口にズキズキ痛みが走って、強く押さえると差し込むような激痛がした。 思わず荷物を床に落として膝を着いたを見咎めた女将が慌てて階段を駆け上がってくる。 「あんた何やってんだい!出歩くにはまだ早いだろ!」 「悪いが村はずれの寺までの道を教えてくれるか」 「お医者様にかかる気なんだね、待ってな今呼んでくるよ!」 「いや、こっちから行くからいい。馬を引いてくれ」 聞かないに諦めた女将は店の庭院に繋いであった馬を急いで連れてきた。 「寺はここから西に三里ほどだ、気をつけてお行きよ」 趨駿は久し振りに見たを黒い瞳で見つめた後、おもむろにその鼻面をの脇腹に突っ込んだ。 「が…………っ!」 ぷるぷると目の前の鬣を掴んでは悶絶する。 生理的な涙をためながら、趨駿の首に顔を寄せた。 「おいこら、バカ馬。次やったら馬刺にするからな、うん?」 引きつった笑顔でそう言うと、趨駿は人語を理解したのかしないのか、しおらしく頭を垂れた。 軽やかとは言い難い足取りで馬に跨り、宿屋の女将に無造作に金を投げて、馬をゆっくり走らせた。 本当に三里ほどで寂れた寺が見えた。 住んでいる人間がいるのかってほど人気がない。 石畳を馬で乗り進み、戸の前で馬を降り立つ。 趨駿が膝を折って身を屈めてくれたので、は傷に響くことなく降りることができた。 傷に障らぬようにゆっくりと扉を叩く。 「すいません、誰かいますか?」 「はい」 建て付けの悪い扉が開いて、凡庸な顔つきをした二十代の若い男が顔を出した。 「ここに医者がいると聞いたのだが」 「はい、私が医者です」 おっとりと穏やかな表情と口調で言った男は華眞と名乗った。 が傷口を庇うように前かがみで立っているのを見ると、その穏やかさはどこに消えたのか、を部屋に引きずり込んで傷口を見せるように言う。 もとよりそのつもりだったは特に反論もなく上衣を脱ぎ捨てた。 素人手つきの滅茶苦茶な縫い目に指を這わせ、あちこち触診をしてまわった。 「縫合は誰が?」 「自分で。普通の縫い針と刺繍糸を使った」 「針と糸の殺菌は?」 「針も糸も熱湯で煮沸、傷口酒で洗った 」 「適切です。…………もう一度触らせていただいてよろしいですか?」 無言で頷いたの傷口を這うように触れていた指が突然一部を圧迫した。 びくん、との体が跳ねて、噛み締めた唇から呻き声が漏れた。 「ああっ!すいません!……………くん、体内に異物があるようなのですが、心当たりは」 「あー………そう言えば、刀を叩き折ったかも」 そう、確かにあの時刺さった刀を叩き折ったとき、刃が欠けていた。 どうやらは刀の破片を体内に残したまま傷口を縫い合わせてしまったらしい。 患部の周りがどす黒く内出血しているのを見ると、体内でどこかに刺さっているのかも知れない。 「あの、せっかく塞がりかけている傷を開くようで悪いのですが、破片の摘出は患部を切開するしかないと思います」 意を決したように言った華眞との視線が絡み合う。 恐る恐るといった様子での様子を窺う華眞には告げた。 「そうか、じゃあ切ってくれ」 事も無げに言ったに華眞の表情は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。 「ちょ、そんなにあっさりいいんですか!?」 「切るしか術はないんだろう?」 「そうですけど!」 一人驚くやら何やらしている華眞を見て、は合点がいったように頷いた。 「ああ、まさかこの国の人たち、切開手術なんざとんでもないってか」 の言葉に華眞は困ったような顔で笑う。 「切開手術に対する正しい理解はまだ得られていないんです。だからそうしないと救えない人もいるのに、処置が遅れることがあります」 悲しそうに沈んだ声でそう言うとまるでそれが自分の責であるかのように俯いてしまう。 恐らくこの医者はそれが原因で迫害されたこともあっただろう。 切開手術というにとっては聞きなれた技術も、無知の人にとってはただの切り裂き魔となりかねない。 は自然と不機嫌顔になった。 「解せねぇな」 「え?」 「俺はこうして腹ァ切られたが、素人がテキトーに縫い合わせただけで塞がってるぜ?だとしたら人体の専門家が切って縫い合わせたんなら塞がらないわけがないだろう。腹切られたら死ぬっつーなら、戦場の兵士は使い捨てになるぞ。それに傷口を縫い合わせるのは普通にやるじゃねえか。怪我で切るのもわざと切るのも同じだろう。むしろわざとの方が安全な気がする」 「くん……………」 ここでは自分の考えの方が異端なのは分かっている。 現代日本では開胸してダイレクトに心臓マッサージだとか頭蓋骨切り開いて脳腫瘍の摘出だとかやっていたから。 それでもやっぱりカルチャーショックで口が出る。 「そういう考え方をしてくれる人が多いなら、いいのですが…………」 「まずいないだろうな」 華眞はもう一度笑んで、手術の準備を始めた。 床に敷いた清潔な布団の上に傷口を上に向けて横になり、は華眞の様子を見守る。 手術なんて小学生のころに盲腸を切って以来で、準備をする華眞に向かって色々話し掛けた。 現段階の最先端医療技術は何か。 切開手術の経験は。 不治の病などはあるか。 華眞はそれらの問い掛けに、専門ではないでもわかるように答えてくれた。 薄い小刀を丁寧に並べ始めた華眞を見て、は恐る恐ると気になり始めたことを尋ねた。 「まさか麻酔なしとか言わないよな?いくらなんでもムリだぞ?俺は関羽じゃねぇんだ、捌かれながら囲碁なんか打てるか!」 「カンウ?まさか。鍼か薬で麻酔はします。部分麻酔と全身麻酔、どちらがよろしいですか?」 「術後の回復が早い方」 「では部分麻酔にしましょう。熱で体力が落ちてますから、その方がいいですね」 鍼による麻酔など初めてなは、本当に効くのかどうか不安だ。 悶々と考えている間に、背骨と腰、まぁあと色々なところに鍼で刺されたというよりも軽い圧迫感を感じて、身じろぎした。 振り向きかけたの肩を華眞が押さえ、動かないようにと告げる。 どうやら鍼麻酔というのは筋弛緩を引き起こすわけではなく、完全無痛とはいかないようだ。 鎮痛、鎮静の役割が多いようで、脳がその作用を認識させるらしい。 その説明を聞きながら、それって脳内麻薬じゃね?と思っていたがにも良く分からなかった。 何度か指で圧迫されたりして麻酔の度合いを確認した華眞は、薄い小刀を手にとって、では手術を始めますよ、と声をかけた。 鍼麻酔による開腹手術の成功譚を聞いたものの、やはり自分が切られるというのは怖いもので、華眞に背を向けたまま少し体に力を入れた。 筋弛緩が起きていないため、動かそうと思えば動けてしまう。 華眞は薬と併用して鍼麻酔を使うこともあると言ったが、どうやらの今の熱では不安要素が多いようだった。 が横目にしても見えない位置の傷跡に、華眞はそっと小刀を当てる。 醜く縫い合わされた糸をブツブツと切っていき、抜糸を施す。 どうやら傷は表面だけが繋がっただけで、全ての組織が癒着するにはまだ当分かかりそうだ。 華眞はまっすぐ走った傷跡どおりに、慎重に小刀を滑らす。 感覚の残る気持ち悪さを感じながら、は懸命に身動きしないでいた。 傷口が開かれて、中を器具が探ってしばらく、小さな金属片が二個ほど摘出された。 横隔膜の一部に食い込んでいて出血していたが、それは最近圧迫によって押し込まれたものらしく、中を綺麗な綿で拭いた後その部分も縫合、きっちり傷口も丁寧に縫い合わせてくれた。 時間にしてはそれほど長くなかったであろう手術のあと、神経が過敏になっているは華眞の鍼で眠らされた。 が目を開けた時、真っ先に目に入ったのは古びた天井だった。 起き上ろうとして、やけに感覚が鈍い。 「あ、まだ起き上らないでください」 のほほんと穏やかな声がして視線だけ向ければ、すり鉢を手にした華眞が微笑んでいた。 「解熱剤を飲ませましたけれど、まだ完全に下がったわけではありませんから」 痛み止めです、と言ってすり鉢から移された褐色の汁がの口元にあてられる。 そのえぐみに顔をしかめながら、は全て飲みほした。 「俺は………いつから旅に出ていい?」 「熱が下がって感染症の疑いも消え、ある程度傷が癒着してからでないと」 「どれくらいかかる?」 「せめて一ヶ月は安静にしていてください」 「長い。出来るだけ早く茶州を出たいんだ。一週間にまけてくれ」 「駄目です。医者としてこんな容態で一人旅は許可できません」 断固として譲らない色を見せる華眞に、は平行線になりそうなのを悟って、ため息をついた。 茶家がどうなったかは分からない。 が、茶州は茶家のテリトリーだ、出来ることなら早く抜けてしまいたい。 「ひとまず黒州に入ったら大人しくしていると約束する」 「今、動くのがだめなんです。傷が開いたらどうするんですか。一人旅では何の対処もできないでしょう」 華眞の言葉にふむ、と考え込んでしまったは何かに閃いたように顔をあげる。 「華眞さん、あんたの目的地は何処だ?」 突然の問いかけに、華眞は目を瞬かせながら、特にないですけど黒州に行こうと思ってます、と答えた。 「ちょうどいい。黒州に入るまででいい。俺の旅に同行してくれないか。医者がついてきてくれれば、文句はないだろう?」 渋い顔をしていた華眞だったが、馬に乗ったまま歩かないこと、毎日必ず休憩をとり、夜通しの旅はしないことなどを条件に頷いた。 出発と定めた一週間後までに、の熱は引いていた。 しかし傷口はなかなか癒着せず、華眞はもうしばらく休養をとるように行ったが、は聞かなかった。 貰った薬湯を喉に流し込み、明日の朝発つと言った。 「まったく、きみは困った子ですね」 腰に手を当ててまるで親のような口ぶりで言う華眞に思わず笑みがこぼれる。 「子、かよ」 「ええ、旅の途中はお父さんと呼んでくれてもいいですよ」 さらっとにとっては爆弾発言をした華眞に、何故だかいつものような怒りは湧いてこない。 「親っていう年じゃないだろ?」 「関係ないですよ。私はくんのこと愛してますから」 ……………ブハァッ! ちょうど薬湯の苦みを茶ですすいでいたはあまりに突然な発言に茶を噴き出して咽せた。 「…………悪いが幻聴で変な言葉が聞こえたみたいだ。もう一回言ってくれ。いや、むしろ言うな!」 「愛してますから」 「今の話の流れで何故その発言が出る!」 「華家の人間はご先祖様の教訓から大切な人には『愛してる』ってちゃんと伝えるんです」 真面目な顔をして言った華眞を見て、自分の弟と通じる(ちなみに前世・今ともに)天然っぷりを感じた。 「一週間、一緒に寝起きしただけで『大切な人』、か?」 「ええ」 「人類みな友達かよ」 「うーん、そういうわけではありませんが、私としてはそうなりたいですね」 「………………………お人よしだな、いつか後悔するぜ?」 「しません。苦労するかもしれませんが後悔はしません」 にこにこと人畜無害な笑顔の中に、到底かなわない意志の強さを見て、は毛布にもぐった。 眠りに就く前に最後に一言、背中越しに投げつけた。 「………………あんた、きっといい父親になるよ」 驚いたように目を見開いた華眞は、大人びた少年に向かって笑顔を浮かべ、はい、と一言だけ答えた。 |
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