「これでもな、理系なんだよ、俺は」 そう言ったは近くの紙の裏に、頭領の筆を勝手に使って何かを書きつける。 「トリニトロトルエン、ニトロベンゼン、色んな爆薬構成物質があるが、この時代では、これが精一杯だろう」 そこに書かれていたのは硝石、木炭、硫黄。 「硝石:木炭:硫黄の順で、6:1,2:0,8。最も激烈な黒色火薬の組成だよ」 目を見張った頭領相手に、は薄い笑みを浮かべた。 まさか火薬を使ったことがないわけではないだろうに、その元について知識がなさすぎる。 「間違いねェ、火薬を作っている」 そう言い放った後に、は机の上に広げられた地図を指さす。 「被害に遭ったのは、全て俺が通ってきた関所を通した物。ここは茶州との行き来だけに使われると思いきや、黒州外れの鉱山からも道によっては通ることになる。襲撃されたのは必ずその関所を抜けた黒州の中、俺がそこのヘタレ山賊に出会ったところだ。おかしいと思わないか?」 の言葉だけで理解できたものは少なく、何かを思いついたようなものでも自信なさげだ。 「山賊ってのは大抵根城があるもんだろ?縄張りもだ。しかし同じ地点に縄張りを張った同業がいて、黙っておくとは思えない。襲撃したのは俺が初めてとはいえ、あそこで何度か襲おうとして根性ないままやめてるらしいしな」 の言葉に、山賊の一団は精一杯首を縦に振る。 ここはの言葉に従って正直に発言するのが賢明だと悟ったらしい。 「俺たちはあそこを縄張りにしてもう二週間ほど経ちますが、他の山賊なんて見ていません」 「こいつの証言を裏付けるように、確かにこの資料には二週間前から被害報告はない。ということは、もう既に必要なものが揃ったか、あそこに常におらず、必要なものがある時だけ襲撃するのか」 が自分の考えを述べている途中、部屋に入ってきたヤクザの部下が頭領に何事か耳打ちする。 頷いた頭領は部下に下がるように指示して、の方に向き直った。 「被害があった。ある商隊の油紙だけごっそりよ」 「薬包用の防水紙か。乾性油を塗ったヤツ」 少しばかり考え込んだは、手を一つ叩いて立ち上がると、腰に剣をはいた。 どよめいたヤクザたちに、何でも無いように告げる。 「おれの推測を話す前に、現場行って見ようぜ。被害にあった商隊からも話が聞きたい」 の言葉に、頭領は頷く。 「悪いが医者とその山賊達は残ってもらう」 「勿論、華眞さんみたいなド素人を連れてこうなんて思ってないよ」 に対する捕虜と言うわけでもないだろうが、話についていけていない様子の彼らを連れていくのは足手まといだ。 そうしてとヤクザたちは共に現場に直行した。 ヤクザや商隊に話を聞きながら、は荷物が積まれた馬車を見ていた。 その背後にヤクザの一人がたつ。 「あんたらは勿論ここを張ってたんだろ?」 「いや。茶州側と黒州側の両方を警邏していたから、常にいたわけではない」 「…………………」 は顎に手を当てて、ゆっくりと歩きながら馬車の周りをぐるっと廻った。 「これは知ってたな」 「は?」 「荷物を掻っ払うのに、手際が良すぎる。他の荷物は鍵すら開いてない。つまりどれが目的の箱か、あらかじめ知っていたというわけだ」 これで大変なことが分かっちまった、と言うが、ヤクザに質問させるような時間は与えず、商隊に話を聞きに行く。 「つまりあんた達は襲撃の間、一カ所に集められて、馬車から引き離されたんだな」 「ああ。目の前に若い男が立って、その向こうで荷物を漁っていた」 「漁っていた?他の荷物にも興味を示していたか?油紙の箱だけじゃ無かったか?」 「そ、そう言えば、奴ら、荷物をすぐに見つけて………」 その言葉には意を得たように頷いて、ヤクザを振り返った。 「まだ根城は分からないけど、手掛かりはみっけたぜ」 「手掛かり?」 「共犯者、いや、首謀者かもな」 の言葉にヤクザは目を見開いて、どういうことだ、と問いかける。 が何の情報を集めようとしていたのかということにすら頭が回らない様子だ。 「頭脳派ヤクザはいないのかねぇ。まあ、いい。今まで被害があった日の関所の役人を調べろ。そして事件の日に担当している回数の多い奴を何人か連れて来い」 そこまで言えば流石にもう分かったのだろう。 声色を低くして、に耳打ちする。 「関所の役人が共犯だって言いてぇのか」 「目的の物を積んでいるかどうか知れるのは、関所で積み荷の確認が出来る役人だけだろう。商隊に紛れ込んでるって手もあるが、村人の鉱物までとなりゃその線は薄い」 「確信がねえんじゃ、動けねぇ」 確かに確信もないまま関所の役人を調べることなど出来ないだろう。 権力におもねるわけではないが、何もありませんでした、ではこちらの立場が悪くなる。 「お前、奴らが何を集めてんのか知ってんだろ、囮とかできねえのか」 「今のところ、火薬作りに必要なのは揃ってる。補充とかは想像つかねえよ」 は腕を組んで、少し考えさせてくれ、と手近な荷物に腰かける。 そして得た情報の整理を始める。 奪われたものは、木炭・硫黄・硝石・酒・油紙。 一番多いのは木炭。 これは納得できる。 次は酒。 これは何故だ? 引火剤としてなら別に油でも構わない。 何故わざわざ危険を犯して全商連から酒を奪わなければならない? 「と言っても俺は捕まえればいいんだから、使用法なんざ考えなくていいか。捕まえるなら、共犯者を割り出すか根城を見つけるかなんだが………」 呟きながら再び商隊のもとに足を進める。 商隊の隊長は子どもだからといって侮らず、しっかり質問に答えてくれるから好印象だ。 「危害は加えられたか?」 「抵抗したものは。基本的には紳士的だったと言える」 「奴らは騎馬の一団、馬の様子は?」 「様子、と言うと?」 「疲れてたとか、酷く汚れていたとか」 「いや、顔を出している若者に注意がいっていて」 覆面の中にひとりだけ素顔の人がいたら、そうなるのは当たり前だ。 むしろそれを狙ってそうしているとも言える。 「一旦戻ろう。とりあえず情報は得られたから頭領のところに報告だ」 馬を駆けて頭領の邸に戻ると、頭領がお待ちだ、と言われ、馬の鞍を外す間もなく部屋に入った。 「収穫はあったか」 「あったはあったが良い収穫ではないな」 そう先に告げてから、は長々と説明を始めた。 「…………言われてみれば納得出来る。だが、手掛かりは関所だけか………」 「でも関所に共犯者がいる割には、やることが小さい。きっと規模もそれほど大きくない上、根っからの悪党でもないはずだ」 が言った言葉に、頭領がああ?と視線を上げた。 これだけの被害数。 さらには作っているのが爆薬だというのを考えれば、けっして小さいとは言えないはずだ。 「分かりやすいんだよ、あまりにも。普通の強盗、つまり金目のもの全部持ってけば、火薬のことすらもっとうまく隠せるのに、どうしてそうしない。それに犯行も非常に紳士的。何か目的があって火薬を『必要』としているとしか思えない」 の言葉で、これまで全く見当もつかなかった犯人像が浮かび上がっていく。 しかしまだその詳細が分からず、捕らえることが出来ないというのも事実だ。 「そこで俺にちょっと調べたいことがあるんだが、いいか?」 聞くとは関所近くの山に行かせてくれと言う。 疑問を隠せないヤクザ達に向かって、は火薬を作るのに最適な場所を説明した。 「この世界、いや、なんでもねぇ………。おそらくこいつらは火薬を作るなんて危ない作業、民家の近くじゃやらないはずだ。山の中の開けた場所………そして近くに川と洞窟、人が中々立ち寄らず、煙が出ていても焚き火程度に思われるくらいには高度も低い…………そんなところだな」 ヤクザ達が特に気にも留めない事柄は、の視点からは十分に情報を含んでいるのだろう。 あまりにも頭の回転が速いことに、周りの人間は驚くばかりだ。 感心している間に、はじゃあちょっと準備して来る、と言って姿を消してしまった。 暫くして姿を見せたは酷く小汚い格好をしていた。 「俺みたいなボンボンや、目つきの悪いヤクザ達がうろいてたら、警戒されちまうだろ。これなら見つかってもそこらの農民の子どもで通る」 見事なくらいにお坊ちゃまオーラが消えてしまったを、複雑な表情で見守るヤクザ達だった。 旅券や服、剣を華眞に預けて、は体一つで山の中にいた。 一応腰帯に短剣を差しているが、それもヤクザから借りた物で、どっからどう見てもただの庶民の子どもだった。 よくよく見ればかなりの美少年で年不相応に賢そうな表情に気付けるが、振り乱したザンバラの髪と薄汚れた格好がすべての景観を損ねている。 「って言っても山は広いねぇ」 麓から少し登ったあたりをぶらぶらしてみたが、火薬の匂いすらしない。 勿論人影も皆無。 当てが外れたか、と仕方なく引き返そうとした時、人の気配を感じ取っては身を硬くした。 気配というのは殺気や思念とかではない。 足音、呼吸、心音、そして体を動かす風の流れ。 人間が生きている限り消せないものや、熟練者ならば消せるものなど様々。 集中し、神経を鋭敏に研ぎ澄ましてやっと掴めるそれ。 この気配を探る一瞬、はかつての弟と同じ世界を見ようと努力していることになる。 気配はばらばらの方角から取り囲むように近寄って来る。 明らかにこちらに気付かれないようにしているのが分かるため、にとって良い客とは言えなさそうだ。 腰からスッと引き抜いた短剣を片手に、は体を低く落とした。 後ろの気配がもはや隠す気もないかのように速く動く。 飛びかかって来る何かに応戦するため、は片足を軸にして素早く振り返った。 黒いものが眼前を覆って、それにとっさに短剣を振り下ろす。 ブツッと何かを切る音がして縄を切ったような感触が手に残る。 手首を返してもう一度、目の前のそれを切り裂いた。 ここまでは最早反射の領域。 切り裂いて初めてそれが網であることに気付いたが、近付いてきていた人の気配の正体でないことに、一瞬の動揺を隠せない。 再び、今度は鉤のついた縄が複数こちらに向かって飛んでくる。 先ほどから、を捕らえるような動きばかりで傷つけようという意志は感じられない。 これをやり過ごして、隠れている犯人を見つけ、問い詰める事よりも、大人しく捕まって状況を探る方が手っ取り早いかもしれない。 そんな事を考えたのが隙を生んだのか、後ろからの縄に引っかかって、態勢を崩してしまう。 するとすぐさま、何処からか人が二人ほど飛び交ってきて、あっと言う間に猿ぐつわを噛まされて袋の中に押し込められてしまう。 垣間見た相手は、覆面をしていなかった。 はぼんやりする頭で体を起こそうとした。 袋の中には特殊な香袋が入っていたようで、遠退く意識と必死に戦っていたら暫くしてこの石牢の中に転がされてしまったのだ。 少し前の自分の考えを無しにして、やっぱりあの時大変でも相手を引きずり出して締め上げるべきだったと思う。 「頭イテェ……」 頭を働かせて現状を打開しようにも、まだ頭の芯がくらくらする。 は仕方なく目を閉じて、回復を優先する事にした。 目を開いて夢だとはすぐには分からなかった。 現世で、そこには慧もいて、自分も一色嵐だった。 ただ夢だと気付けたのは、慧の近くに琵琶がなかったからだ。 琵琶について喋らない。 琵琶に夢中にならない、慧。 慧が琵琶に出会わなかった世界。 「昔の俺が、望んだ世界か」 慧の中に琵琶がない。 そう望んで、願って、しくじって。 「もの足りねえな」 慧のそばに琵琶がなくて、こんなにも違和感を感じるということは、その感覚こそが本心ということだろう。 「大体、何で琵琶と張り合ってんだ俺は」 自分に呆れ果てて笑いが出る。 「慧、俺はお前の何だ?」 「お兄ちゃん。一番大切な人」 「慧、琵琶はお前の何だ?」 「たからもの。一番大切な物」 「どっちかがなくなったら?」 「それはもう僕じゃない」 「どっちもなくなったら?」 「そこにもう僕はいない」 「どっちも、あれば?」 「それが僕の世界」 自分の夢の中の慧がこう応えるってことは、自分がそう考えているということ。 は自分の心の答えに納得して、慧の頭を撫でた。 慧は機嫌のいい猫のような顔で笑った。 べしべしと頬を容赦なく叩かれて、は身を起こす。 ほんの数十分だったろうが、体はほぼ万全に戻っていた。 「ぁんだよ」 なかなか良い夢で、出来ればもう少し眠っていたいような気分だったのだが頬を叩かれたら仕方ない。 少々不機嫌になりながらも、現在自分が置かれている立場は忘れていなかった。 「大丈夫か」 自分の前に膝を着いているのは、とほぼ同い年位の少年だった。 起き上がって周りを見てみると、さっきは気付かなかった少年や少女が結構な数いる。 「何だ、ここは」 「お前も浚われて来たのか」 の問いを無視して、少年は尋ねてきた。 ここは相手の流れで話を進めたさせた方が早いかもしれない、とは頷く。 「まさかこいつら全員?」 「ああ。売られた者もいるが、殆どは浚われてきた子供だよ」 流石のも、驚きのあまりすぐには言葉が出て来なかった。 「人身売買なんて、そんなもんが許されてるのか!」 「まさか。勿論秘密裏さ。でも需要があるんだろ」 そう言われて見れば、みんなそこそこ見栄えのよい容姿をしている。 その需要がどういうものかすぐに分かったは、気持ち悪いものを見たかのように盛大に顔をしかめた。 別件を追っていたのに、何やらめんどくさいことに巻き込まれてしまったようだ。 眉間に皺を寄せて考え込むを見て、最初に声をかけてきた少年が意外なものを見たかのように呟いた。 「お前、随分落ち着いてるな」 「そう言うお前こそ、現状に悲観しているようには見えないが?」 の言葉通り、ここにいる子供たちの誰も、悲観した表情をしていない。 「お前、今日浚われるなんて運が良いな」 少年は笑みを浮かべて、説明するから、ちょっと耳貸せよ、と言った。 は一通りの話を聞いて、あまりにも運の良いことに笑い出したくなった。 今日は子供たちが売りに、つまり競りにかけられる日らしい。 競りと言っても買い手が宴会をしている所に見せ物として駆り出され、気に入られたら買われていくというもの。 まあとにかくは牢から出るチャンスの日。 そしてなんと子供たちには人身売買を止めようとしてくれている外の協力者がいるらしい。 そいつらは州府に直訴しても握り潰されるということで権力による裁きを見限り、力技で救出してくれる予定。 宴会の途中、『騒ぎを起こすから』それに乗じて逃げるようにと。 「宴会での酒を必ず皆に飲ませろ、って言われなかったか?」 「な、何で」 先を言い当てられて、少年が非常に驚いた顔になる。 はそれには答えず、 これからの事を計画する。 この牢では、力ずくで出るのは少々難しい。 命の危険がない限り、影が助けてくれることはない。 とりあえず、やらなきゃいけないこともあるし、こいつらの計画に便乗しておくか、と結論を出した。 「もうすぐ日が暮れる。そうしたら―――」 再び話し出した少年が閂を開ける音に気付いて口を噤む。 皆が一斉に静まり返る中、扉の開く音に続いて足音が聞こえ、格子の向こうで止まった。 畳まれた、それなりに高価な服が格子の中に入れられていく。 格子戸が開いて水の張った盥が幾つかと布が置かれた。 体を拭いて服を着替えるよう言い残した男が去っていく。 寸法も何もない服の中から出来るだけ自分に合うものを選んで、交互に盥を使って着替えていく。 皆が緊張で強張った動きで淡々とこなしていく中、は万が一騒動が起きなかった場合の逃げ方をシュミレーションしていた。 服を着終わった頃に、複数の男達が何人かを纏めて連れて行く。 その動きを見て、は逃走の計算を少し修正する。 皆、並み以上にはできる男たちだった。 牢とは一転、華やかな広間に連れ出されて、酒の酌をするようにと言われる。 広間の周りにも明らかに警護と思われる男たちがいて、逃げるのは容易ではなさそうだ。 酒瓶を手に入っていった子供達に続こうとしたら、短い後ろ髪を掴まれて引き戻された。 「ッ、なにすんだよ」 「お前はこれを被れ」 バサッ、と長い黒髪を頭の上に落とされて、自分の頭が結えないくらい短いことを思い出す。 被って硝子の窓を覗き込むと、すぐ上の兄の姿になっていた。 やっぱり自分は髪を短くしていたほうがいい、と思いながら、酒瓶を手に広間に足を踏み入れた。 |
![]() |
![]() |
![]() |