彩雲ノ章

十四




たちの持つ瓶の酒はやはり全商連から奪われた名酒だった。
が香りで嗅ぎ分けられるのは藍州の妓楼で散々飲みまくったからだ。

手はず通り、広間にいる奴らには皆酒を飲ませた。
途中、官吏らしき男が髪の毛に指を絡めた時は鬘が落ちる、と焦ったが、それが肩に移った時にはマジで張り倒す寸前だった。
どうやらほかの子供達も上手くやっているようだ。

は酒瓶を幾つか取って、広間の外へこっそり抜け出した。
勿論、すぐさま声をかけられる。

「おい、」
「おつとめご苦労さん。一杯やれば?」

あっけらかんと酒瓶を差し出したを不審な目で見る男たち。
最初は睡蓮の姉貴を見習って艶っぽくいくつもりだったが、無理なことは早々に諦めよう。

「あんたら俺らの監視とかでこき使われてんのにさ、酒の一杯も飲めねえってのはどうよ?酔わない程度ならいいんじゃねえの」
「自分を浚った相手に変な奴だな」
「まーね。別に恨んじゃいないよ。最初はびっくりして抵抗したけど、俺、行くところなくて、身よりもなくて、あーあお先真っ暗ってかんじでふらついてたんだよね。ほら、飲みながら聞きなって。それでさ、ここに来たお陰でとりあえず行き場は見つかったわけだし」


養子にしてくんないかな、誰か。

とあくまで勘違いをしているふりをして嘘八百を並び立てた。
ペラペラ喋るに飲まれてか、男たちは無意識のうちに酒に口をつけていく。
何人かが口をつけて、あと二人、とが心の中で思った時。

体に響く轟音と振動。
杯は倒れ、男たちはどよめいて立ち上がる。
そちらの方にバタバタと走って行ったのを見て、まだ効かないか、と 溜め息をつく。
と、広間から当惑した声が聞こえて、子供たちが駆け出して来る。
三人ほど残っていた警護の男が制止の声を上げ、一人が子供たちを取り押さえようとした。

たっ、と軽く床を蹴ったは男の膝を踏み台にして目線の高さまで飛び上がると、体重を込めた蹴りを首筋に叩き込む。
泡を拭いて悶絶した男を地面に蹴り倒し、残りの男の対処に向かおうとする。

「待ってくれ!」

懐に飛び込んだの拳が男の顎を捉える直前、切羽詰まった声で制止が入る。
声に真剣な何かを感じとって、寸止めしたに男が安堵の息を吐きながら説明した。

「俺たちは君等を逃がすために潜入していたんだ、仲間だよ」

だからなかなか酒に口をつけなかったのか、と納得して拳を引いたに、苦笑いを浮かべて話を続ける。

「本当は見張りの始末は俺たちの仕事だったんだけど、酒も飲ませてくれちゃうし、大分楽になったよ。じゃあ逃げ道に案内するから、ついてきて」

促されて、子供たちは味方の男の後ろについて、走っていく。
中に最初に会った少年を見つけて、走りながらその近くに寄った。

「広間はどうなったんだ?」
「あいつら、カエルみたいにひっくり返ってるよ!」

おいおい、致死毒じゃないだろうな、と呆れながら聞くと、しんがりをつとめているもう一人の味方が、麻痺しただけだ、と短く告げる。
そのすぐ後、二度目の爆発が起こり、遠目にも納屋らしきものが炎上しているのが見えた。
各所で次々に上がる爆音。
これでは酒を飲んでいようがいまいが、うろたえて子供たちを追うことなど出来まい。

門番はすでに地面に沈められていて、そこを子供たちが次々と駆け抜けていく。
中に潜入していた様子の男たちもあちこちから戻って来て、外まで逃げ延びた時には十数名の大人が混じっていた。

「兄ちゃん!」

横の少年が中でも若い、少年と青年の境位の男に飛び付いた。
相手の青年は言葉もなく、ただ腕のなかの存在を力一杯抱き締める。

少し遅れて、州武官、ヤクザ達が騒動の場に駆けつけた。

は事件の終わりを悟って、空を見上げる。
漆黒の空に、真っ赤な火が色鮮やかで綺麗だった。


「自首してくれるか」

今なお抱擁を続けている二人に歩み寄ると、は無表情のまま告げた。

「え?」

わけが分からない様子の弟の頭を軽く叩いて、兄は苦笑を浮かべて振り返った。

「そのつもりだったよ」
「罪そのものは消えないが、死者は出してないし、この状況は州府の失態だから、ある程度の考慮もされるだろう。ヤクザ達には州府の権限で裁くよう、俺から説得する」
「君は、ただ浚われてきたというわけではないんだね」
「ヤクザに頼まれて、関所の盗賊を追っていた」

その言葉に泣き笑いのような顔になった兄は確かにと張るくらいの美貌だった。

弟を仲間の一人に預けて、州武官へと歩み寄っていく後ろ姿をはただ見ていた。



顔を合わせた事のあるヤクザを呼び止めて、頭領の元に連れていってもらった。
もうとっくに夜が更けているが、すぐに面会を希望したら、意外にもあっさり受け入れられた。

すぐに今回の事件のあらましを説明した。

とある道場と貴族の人身売買。
州府に訴えようにも手がなく、やむなく立てた計画。
浚われた者の近親者や道場の中の反対派などで構成された盗賊。
火薬と酒によって成し遂げられた救出劇。

「というわけで、落とし前は諦めて、州府に沙汰を委ねてくれないか?」
「それを話されて、義理と人情を重んじる俺たちヤクザが否と言えると思うか?」
「恩に着るよ。明日州府に顔出す予定だし、俺もう寝るから」

華眞さんたち、泊めてくれてるんだろ?

そう言って背を向けたに、後ろからまだ残る疑問を問う。

「関所の共犯者は?」

「……唯一、今回の事件を知っていた役人。浚われた子の家族と面識があったんだけど、上から圧力を受けてどうしたらいいかわからず、こういう協力の仕方しか出来なかったんだそうだ。まあ、自分の生活だってあるし、表立ってやれないのはわかるから、責められないけど」

口で言うなら簡単だ。
自分の声が正しい判断の下せる人間に届くまで叫び続け、そのために職を失おうが、身体的な辛い目に合おうが、文無しになろうが、諦めるなと。
ただし、他人のことでそこまで出来る人間なんてそうそういない。

「手に入るもの、例えば酒に混ぜる薬とかは調合さえ分かれば山で摘めるだろうからいいけど、何回も爆発起こすための火薬なんて買えないし、州府を襲撃するわけにはいかないだろう?まして貴族の口に合う酒なんてそう簡単に用意できるもんでもない」

盗賊の手引きをしてたわけだけど、知っているのに何もしないっていう良心の痛みに比べりゃ、良かったんじゃないの。

淡々と答えたは大人にすら内心を読ませないほど冷たい表情のまま、部屋を出て行った。



「お帰りなさい、くん」
「ただいま。あー、マジでどたばたな一日だったな」

ヤクザに追いかけられて。
盗賊逮捕に乗り出して。
誘拐されて。
男に酌して。
逃走して。

「お疲れ様でした。怪我はありませんか?」
「ああ、ないない。精心的疲労が激しいけど。」

薄い布団の上に体を投げ出して、は華眞の顔を逆さまに覗き込んだ。

「あんたはきっとそういう人間だろうな」

この医者ならば自分がどんな目に会おうとも笑って、他人のために身を粉にして働くに違いない。

「なぁ、どっかの貴族専属の医者になる気はねぇの?そっちの方が器具も薬も充実してるし、あんたほどの腕があれば歓迎されると思うけど」
「ああ、そう言えば国王陛下の侍医にならないか、とか言われましたけど、断っちゃいましたねぇ。紅藍両家からも専属医師のお誘いが来てましたがそれも同じく」

君のお父様が当主の頃だと思いますが、とにとって初耳な爆弾発言をしてくれた。
だがある意味彼の人柄を知ったには納得のできる答えではある。

「だからあんな、医者のいない村にいたのか」

突然話が飛んだの思考を華眞は正確に読み取って言葉を続ける。

「医者のいない村だからと医者がいれば救えるのに消えてしまう命があります。君も、私があそこにいなければ危なかったですねぇ」
「あ、そうだ」

おもむろに体を起こすとは華眞に預けておいた荷物をごそごそ漁って巾着を取り出す。
そこから別の袋に中身をいくらか移し替えるとそれを華眞に放った。

「治療費、渡してなかった」
「何を言われる前に私が勝手に治療したようなものですから別に………」
「あのな、ある所からは取っておく、それは基本だぞ。無銭で治療したら喜ばれるが、薬も器具もタダじゃない。薬がありません、治療できません、ってなる前に装備を整えておくのが医者の義務だ。この先もそういう医者のいないような貧しいところを旅するんだろうし、どっかでまた俺みたいな重傷の子ども拾うかも分かんないし、いいから受け取れよ」

何かの言葉に納得したところがあったのか、華眞はそれじゃあ頂きます、と言って自分の荷物に入れた。
それに頷いて、は今度こそ寝よう、と布団の下に潜りこんだ。

早速寝息を立て始めたを保護者のような目で見守りながら、華眞はそう言えば、と首を傾げる。

「なんで君は鬘を被っているんでしょうか」

一連の出来事を知らされていない華眞には到底分かるはずもないことだった。



翌日、州府を訪れたは、藍家直系の訪問に構う暇もないほど慌ただしさを前に、結構な時間待たされていた。
面会が出来るかどうかは五分の可能性だったが、黒州州牧に直接会いたいと願い出ている。

時間にして二刻ほども待たされて、漸くは州牧の前に座っていた。

それでもまだ時折周りのものに指示を出したりしている州牧。
その様子を観察しながら、は内心で州牧に落第点を出した。
今回の件、州府の官吏や弱小貴族が絡んでいたこともあって、処罰を下すにはそれなりの対処が必要だ。
しかしまったく追いつけておらず、そのうち証拠も証人も消されて結局は処罰できないままに終わるに違いない。

街の警備もヤクザに委任している点といい、民衆の訴えが届かない点といい、武道から外れたものが盗賊になっている点といい、優秀な州牧とはいえないようだ。
近いうちに王都から優れた州牧が派遣されるかな、とは思案する。
民衆が州府よりもヤクザを頼りにするような地方は、朝廷にとっては好ましくないに違いない。

「御忙しいところ、申し訳ありません。しかし私が今日どうしてもと申し上げたのには理由がありまして」

丁寧な口調で語り出したに州牧はへつらうような笑顔を浮かべる。

「とんでもありません。大変お待たせしました」

そしてはまた一つバツ印を頭の中でつけ足した。
藍家直系というだけで、一州を預かる州牧が媚びへつらうなんてもってのほかだ。
藍州の喫煙オヤジ州牧なら嫌みの一つでも飛んでくる。
しかし内心を明かすことなくは話を続けた。

「実は私、先日庶民のなりをして森を歩いておりましたら、誘拐されましてね」
「はい?」
「袋から顔を出すとそこは牢で、着飾られてある人々に酌をするよう言われたのですよ」

その言葉を聞いていた州牧はの言わんとするところが分かったのだろう。

「それは、つまり…………!」
「ええ、どうやら人身売買を行っていた人々に浚われたようですね。もうすでにご存じだと思いますが、その場から私や他の子どもたちを逃がしてくれたのは一般の方でしてね、その為に盗賊として幾度か罪を重ねて準備をしたようですが、それを踏まえて裁きを下していただきたいのです」

そう言われると州牧はひどくうろたえて、もごもごと口ごもる。

「まさか、人身売買を行っていた者を無罪で逃がすということはありますまい」
「しかし証拠が」
「対処が遅れれば遅れるほど、証拠は得辛くなるものです。邸の広間で伸びていた人達は」
「もちろん、拘留してあるが…………」

貴族なども含まれていて強い態度に出れないということだろう。

「その場所に案内していただけますか」

連れてこられれば、拘留とは名ばかりの、待遇の良い一室に留め置かれているだけだった。

「州牧、いつまで私たちを留めておくおつもりですか」

いかにも不名誉だという口ぶりで言った男は先日の肩に触れてきた官吏。
を視界に入れていても、それが昨日の少年だと気付いた素振りはない。

「…………どちらの御子息でしょうか」

身なりのいいに対して丁寧な口調で聞いてきた男に、は表面的には笑顔を浮かべた。

「藍家直系五男、藍と申します」
「おお、これはお会いできて光栄です。このようなところをお見せして申し訳ありません。どうやら何者かに嵌められたようで」

を味方につけようと語り出す男を片手で制して、は浮かべた笑顔を相手を見下すような凄絶なものに変えた。

「往生際の悪いことしてんじゃねぇよ、このカス野郎」

懐から長い鬘を取り出すと、自分の頭に被せる。
それを見て、男のみならず、その場にいた州牧以外の男全員が蒼褪めた。

「まさか昨日の今日で忘れたとは言わねぇよな」

もうその場にいる男たちに自分を弁護する気はなくなったようだった。

「州牧、私の要件は以上です。それでは失礼します」

はにこやかに笑って州府を後にした。


それからしばらく、やけに気に入られてしまったヤクザのところで一週間ほど過ごした。
弟子入り志願の山賊達はヤクザの下っ端として使ってくれるらしく、ここに置いていくことになる。

出発のための準備をしていると、を訪ねてくるものがあった。
荷づくりの手を止めてが邸の表に出てみると、達を助けて現在は州府に拘留されているはずの青年が血みどろのひどい姿で立っていた。

それを見て、は相手が話し出す前に告げる。

「取り敢えず、中に医者がいるから、診てもらえ」

華眞を呼んでぼろぼろの青年の手当てを頼む。
それを受けながら、青年は口を開いた。

「労役に三年服すか、百叩きを受けて賠償を支払っていくか、と聞かれてね。迷わずに百叩きと賠償を選んだよ。もう弟を一人にしたくないからね」

その言葉には自分がそこにいるような気分になってしまう。

「気持ちは分かるぜ。あんたがやったのは間違いなく犯罪だ。でも俺も、もし弟がそんな目にあわされたら間違いなく相手を殺す」

馬鹿みたいに特攻かけないで、味方増やして計画練ったあんたは随分頭がいいよ。

それに目を丸くした青年は笑い声を上げて、これからが大変だな、と呟いた。
労役三年と同じくらい、いやそれ以上に青年は働いて賠償金を払い続けなければならないだろう。

「弟がいれば、それでいいんだろ?」
「ああ」

迷いもなく頷く青年に、自分と同じものを再び感じて、しかしなぜこうも結果が違く終わるのだろうと思う。

「あんたの弟、すごくあんたに似てるな。浚われた子達のなかで中心に立って頑張ってた。外ではあんたが、中ではあいつが。着々と計画を進めていたわけだ」
「あいつの目標は俺だって言ってたからな。でも本当は結構甘えたがり屋なんだ」

それを聞いてじゃあ仕方ないか、と思う。
慧の目標は嵐ではなかった。
自分と慧は本当に対照的な人間なのだ。
自分たちには自分たちの、彼らには彼らの、兄弟としての在り方があるのだろう。

何故、自分のところに来たかなどはあえて聞かないまま、青年も言わないまま、ただ何に対してかの礼を述べて、去って行った。
その後ろ姿に、少しそれよりも小さな姿が駆け寄るのを見て、は笑みを浮かべた。



「華眞さん、あんたはどうする?」

荷物を馬に乗せて、もうすぐに旅立てる準備をしたは鞍の位置を直しながら華眞に声をかけた。

「ここは出ますけど、もう少し黒州にいようと思います。村々を訪ねて………」
「つまり、自分を必要としてくれる人のところに行く、でいいんだな」

きっと彼は必要だと呼ばれれば、この黒州から王都までも迷わず飛んで行くに違いない。
その人柄に少々不安を抱きながらも、は何とかなるだろう、と自分を納得させる。

「じゃあ、ここでお別れだ。俺はこのまま白州を通って碧州に向かうから。改めていうけど、あんたは命の恩人だよ。…………気をつけて」
「ええ、君も危ないことはしないように」

まるで子供に言い聞かせるような口調だが、何故だか華眞相手には不愉快には思わない。
それは出会ったときからずっとそうだった。

「それじゃあ、いい出会いだったよ、華眞さん」

そう言い残して馬の腹を軽く蹴る。
馬は並み足で進んでいき、大きな街道へと差し掛かる。
その時になって後ろを振り返ると、笑顔の華眞がにこやかに手を振っていた。
それに手を振り返して、は今までの旅に少し想いを馳せる。

旅を始めたのはもう五ヶ月も前。
夏からすでに冬となり、間もなく春の訪れを感じることになるだろう。
黒州白州はヤクザの協力によって飛ばすことにして、次の目的地は先ほど言った通り碧州。
普通に行って四ヶ月はかかるだろう道のりだ。

これまでの五ヶ月は確かにに成長と様々な変革をもたらした。
次なる碧州はどうだろうか、とは慧を見つけるという目的以外にも、その成長を楽しんでいる自分を感じた。