彩雲ノ章







嵐がこの新しい生を受けて間もなく四年になる。

長い時間をかけて理解したことを纏めると。

どうやら彩雲国というエセ中国っぽい国の藍家とかいう滅茶苦茶金持ちな貴族の五男坊。
上には煮ても焼いても喰えなそうな性格の三つ子、取り敢えず長兄雪那とその他月と華。
珍しいくらい箱入り坊ちゃんなすぐ上の兄、楸瑛。
そして下についこの間弟が生まれた。
次期『龍蓮』として注目されているらしい。

実を言うと弟が生まれるまで『龍蓮』候補は嵐であった。
それ故に下が生まれるまでずっと藍嵐、ランラン、ランランとパンダみたいな幼名で呼ばれていたのだ。
しかも何故だか身内にまで姓を繋げて呼ばれるため、初対面だった司馬家の子供には藍藍嵐という踊り出しそうな名前だと勘違いされてしまった。

新たに名づけられてという。
は自分が『龍蓮』となる天つ才でないことは一番よくわかる。
ただ人より+34で精神年齢が進んでいるだけだ。
生まれた時からこのエセ中国の言葉を外国語と認識しながら、話すことができ、ラッキー俺天才になれるかもっ?て思った夢は早くも打ち砕かれている。
日本語で知っている単語なら彩雲国語(仮)でも理解できるらしいが、生前も聞いたことがないようなものはただの音の羅列だ。
まあそういうのはいいんだが、問題は文字だ。

漢文。
しかも返り点すらなし。

しかし漢字を知っているためギリギリで理解することはできる。
何となくだが。
だが残念なことに、作文と朗読は壊滅的だった。

自分が話している言葉を書き出そうにも該当する漢字がわからない。
神様もう少しサービスしてくれよ、というのが今のの心境だ。

こうして三歳上の楸瑛と一緒に勉強会をすることになった。
この時点で天つ才ではないだろう。

しかし弟はまさしくそれだった。
教わらずとも生活の中で吸収していく。
いずれ三、四歳にもなれば『龍蓮』襲名となるだろう。
上にも下にも問題児ばっかで大変だなあ、とぼやいたら楸瑛にそれは私の台詞だ!と怒られただった。




そして四年後。
弟の『龍蓮』襲名と三つ子の藍家当主就任がなった。
そして三つ子達は当主になると、朝廷から一斉に藍姓官吏を引き上げさせた。
自身も九歳を迎え、政治に関してもある程度の知識が身に付いている。

これがどういう現象を引き起こすのかは容易に予想できて、国政なんざ興味はないが取り敢えず三兄を問い詰めにいった。
周りを池に囲まれた離宮ともいうべき四阿で、三兄はおのおの好きなことをしていた。
当主のくせに暇なもんだ、と毒づいて、遠慮なく中に入る。

「いらっしゃい、

来るのはわかっていたという様子で微笑まれて、相手の方が何枚も上手なのを痛感しながら口を開こうとする。
それを手で押しとどめられて、逆らい難い穏やかな迫力に思わず口を噤む。

「どこまで分かっているか、分かっていることを言ってごらん」

あくまでも試すような口ぶりには仇敵に挑むような覚悟をして今度こそ口を開いた。

「兄貴たちが藍姓官吏を辞去させたせいで、その空位を巡って朝廷には権力闘争の波が起きる。兄貴たちが貴陽から戻って当主になったのは『龍蓮』の解放だけじゃないだろう?多分、いや、絶対に王は近く倒れる」

判定を求めるように上目遣いで見上げると、三つの顔が真剣にこちらを向いていて、先を促すような視線をよこした。

「兄貴たちが官吏を辞めたのは『今の』王に愛想が尽きたからでも何でもない。そんな器がころころ変わるような王に、兄貴たちは最初から使えない。これは王の政治の崩壊を悟ったからだ。次の王たる器はまだいない」

はためらいのない口調で確信を持って続ける。

「一年と少し前だったな、楸の兄貴が貴陽に行った時。あの時に兄貴たちは最も優秀とされる第二公子を含めすべての公子の器を計った。そしてそこには今の王と同じように朝廷を御せる器をもつ者がいなかった。一年長く朝廷にとどまったのは兄貴たちの気まぐれとして、本当はもうずっと前から次代の王に仕える気なんかなかったんだろう?」
「そうだとしたら、次に私たちは何をすると思う?」

妖しげに微笑んだ三つ子にはむっと、表情をしかめ、手札を一方的に開かされることの不満を覚えながら告げた。

「何もしない」
「ほう」
「兄貴たちは朝廷なんか興味ねぇんだろ?楸瑛と第二公子を引き合わせたのだって、突き詰めりゃあ楸瑛の為じゃねぇの?あの藍家特別温室純粋培養、モロモロ未熟でモロモロ甘いお坊ちゃん藍楸瑛と、同じく高貴な身分でありながら野生児どころか闇の闇の底で生きた暗殺者みたいな第二公子がフシギな科学反応でも起こしてちょっと楸の兄貴に良い影響でも出てくれればいいな、みたいな?つーか兄貴たちってああいう子どもの癖に大人舐め切って一丁前のツラしてる奴嫌いだろ?自分が朝廷のジジイどもに同じ目で見られてることは棚上げで。ま、兄貴たちの方は実力と言動が伴うからいいんじゃねぇの」

兄を兄とも思わないあまりの言い草に流石の三つ子も沈黙する。
だが、楸瑛と同じく育ったとは思えない世俗の辛さをが持っているということは皆よく知っていた。

「俺が考えているのは兄貴たちが何を思って行動したかじゃない。先に起こることを理解しているのかってことだ。王が生きている今はいい。血と剣で玉座に上り詰めた王が健在ならそれだけで朝廷は静寂を保つ。問題は、王に死の影が見えた時。間違いなく大半の貴族は公子たちの後ろ盾に付き、かつてないほどの王位継承争い、それが齎すのは戦乱と飢饉だ。兄貴たちが朝廷から引いたことで藍家には政治に関与するつもりはないとして取られ、それには巻きこまれないかもしれない。上手くやったよな、王への置き土産か?空位を作ることで朝廷の狐狸妖怪の動きを高め、王位継承争いで動き出した奴らの首を飛ばす。兄貴たちが打った引くの一手は朝廷を刷新するためのいい布石になってる」

一息に言いきった弟の見解に、三つ子はわずかな感心を抱いた。
は龍蓮とはまた違った、天才、凡人の天才と言っていいだろう。
凡人が天才を理解しようと一生懸命思考を分析したら、凡人でなくなってしまった、というような。
その三百六十度どこにでも対応できる柔軟な思考と人の心を読むに長けた明晰な判断力は、恐らくあの第二公子すら凌ぐ、と三つ子たちの意見は一致していた。
何故なら、には誰にでもあるはずの『子供らしい甘さ』がない。

以前何度か聞いたことがある。
何故そんなに人の心が読めるのか、と。
そうしたら何とも変な答えが返ってきた。

『四六時中琵琶ばかり弾いてて臆病でチビで世間知らずだったくせに、誰よりもまっすぐだったから俺が周り見て何とかするしかなかったんだよ。俺はあいつほど矛盾しない奴にはこれから先も会うことはないだろうな。あいつが自分にすら目を背けていた俺に気付かせてくれた。同時にものすごい難題を置いて………………逝きやがった。案外自分を理解するより、他人を理解する方が簡単なもんだぜ」

と答えにもならない返事を返し、最後は必ず同じ言葉で締めくくられる。

『ま、一番の原因は経験の差かな。ガキ』

自分より十二も年上な兄に堂々とガキと言い、胸を張る彼には確かに子どもの幼さはなかった。

「どうせ兄貴たちのことだ。今後の飢饉は藍州を守るにとどめるんだろう?」

真正面から駆け引き抜きで語る弟に、三つ子たちはどうしても笑みがこぼれる。

。君は本当に賢いけれど………………政治家には向いていない」
「甘くはないけれど……………私たちとも似ていない」
「もちろん、外見はともかく楸瑛とも似ていないね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。だいたい国政に興味はないし、そんな兄貴たちみたいに鰻っぽい性格してるつもりはないし、藍家のために死ぬことも出来ない。俺は凡人の括りのまんま、分かってても見ないふりして中途半端に生きるんだろうよ」

取り合えず一通り言ってすっきりしたという表情では扉をあけて出て行った。
と、ひょっこり窓から顔がのぞく。

「ちなみに兄貴たちは激甘だよ」

言いたいことだけ窓から投げ込んで、本人はさっさと橋を渡って姿を消す。
残された三つ子はそれぞれ同じ顔を見合わせ、声を立てて笑った。



、何処に行っていたんだ」
「雪の兄貴たちの所」

司馬迅と二人で剣稽古をしていた楸瑛は、それを聞いて少し眉をひそめた。

このすぐ下の弟はよく兄たちに呼び出されて、色々意見を求められたり、考えを訊ねられたりしている。
楸瑛自身、自分が暗愚だとは思っていないが、楸瑛が入り込めないような会話をしているのを見て、あまりいい気分はしない。
ちなみに龍蓮は会話にならないので論外である。

「なんで兄たちは君にばっかり考えを聞くんだい」
「そりゃ、マツリゴトに貴族のボンボンの意見はいらないからだろ」

あまりの言い草に楸瑛は思わずぐっ、と剣の柄を握り締める。
なんとまぁ、可愛くない。

「まぁ、今回は俺の方から問い詰めに行ったんだけど。………俺としたことが、」
「ふ、どうせ言いくるめられたんだろう」
「言いくるめられるどころか一方的に手札開かされた挙句、ノーリアクションときた」

それはまた、と苦笑いを浮かべる楸瑛。
口が達者なことこの上ないこの弟も、兄達にかかれば手の上で弄ばれるらしい。

迅がやるか?と掲げて見せた木刀には拒否を示して、迅と楸瑛から距離をとって座り込む。
それはが二人の剣稽古を見る時の定位置であった。
それを知っている二人は観客者の意に答えるため、再び相対した。

キィン、と澄んだ刃鳴りの音が響く。
流れるような所作で空気を断ち、その鈍色に輝く切っ先が肉体に吸い込まれんとする。
剣舞のような美しさと、相手のすきを油断なく狙う蛇のような緊迫感。

ほぅ、とは僅かに感心したような息を漏らす。
一流の指南役をつけ、武に優れた司馬家の御曹司を稽古相手の楸瑛が並み程度の実力なはずが無い。
しかし、迅と楸瑛には大きな実力の開きがあったはずなのに、拮抗とは行かないまでもいい動きをしている。
第二公子に剣の試合で敗れて本気で特訓したのが良かったらしい。
楸瑛の性格は知っているが、いったいどんな負け方をしたのやら。


自身、自分は大人だという自負からある程度のことには理解を示してきた。
政治や身分に関しては生前とはあまりにも違うものの、すぐに受け入れられたのだ。
ただ、あっちでもこっちでも現代なら銃刀法違反、いやそれどころか傷害罪や殺人罪の犯人が平気でうろつくのはなかなか理解できなかった。

前の世界は戦争による問題は自分にとって遠く、経済や司法の問題の方が書面を賑わせていた。
藍家直系と言うことで、そこそこの武術は嗜み、勿論剣も使える。
司馬家にもよほどのことがない限り負けない、とお墨付きを貰っている。
しかし自分はいざその時が来たら鞘ごと剣を投げつけて全速力で逃げるんだろうと半ば確信していた。

自分を守るためにも抜かない剣に、誰が価値を見出すだろう。

は良く兄から甘くない、と言われる。
勿論だ。
現代社会で給料もらって生きていくには世の中の酸いも甘いもかみしめて世知辛く生きていくしかないのだ。
だが、ここ一点において、自分は甘い。

まだ少年で人生を終えながら、絶対に慧の方が甘くはないだろうといつも思っている。
慧ならば琵琶という至高の存在のために全てを切り捨てるだろう。
慧の思考とはいうのは、単純すぎてむしろわからなくなるほどまっすぐなのだ。


が銀のきらめきを目で追いながら弟に思いを馳せているうちに、勝負はついたらしい。
案の定、迅の勝ちで。

休憩、との横に腰を下ろした楸瑛の髪紐が緩んで、幾筋かの髪が顔に垂れている。

「おい、髪邪魔だろ」
「ああ……結い直そうかな」

来客を迎える時などは側仕えに結いあげてもらうが、稽古の時に適当に括るくらいなら楸瑛自身にもできる。

「っていうか切れば。結ばなくていいし、寝癖もつかないし、櫛削らなくていいし良いことばかりだぞ。俺は今ちょっとベリショにしようか思案中」
「べりしょ……?というか君のザンバラ髪がありえないから。私と同じ顔でそれは許せない」

と楸瑛の容姿はとてもよく似ている。
紅顔の美少年を自称するあたり、楸瑛は整った顔立ちだが、それと同じ顔がもう一つある。
発育の速いは三つ下でも楸瑛と変わらない背丈をしていて、初めて見たものなら双子と間違えるだろう。

同じ顔三つが既に一組いるのに二つ一組がもう一つはややこしい!と言うはしょっちゅう髪を自分で切り、本来結いあげるべきの髪を短くザンバラにして楸瑛と見分けをつけていた。
そんなことをしなくても口を開けばすぐわかる、というのが兄弟そろっての意見なのだが、短い方が楽という理由もあり、きちんとした髪型にさせようとしても(といってもしつこく説教するのは楸瑛だけだが)隙あらば切る。

「君に間違えられてあら先ほどザンバラだったお方、なんて美しい姫君に言われた日には何があろうと君の髪を伸ばすからね!」
「大体武を極めたるもの無駄に髪が長いと邪魔なわけだよ」
「稽古もろくに出ない奴が良く言う!」
「ふん。稽古ばかりじゃなくて社会勉強をもっと積めよ、ガキ」
「兄に向ってなんて口だ!」
「あー、とりあえず楸瑛は汗を流してきたらどうだ?それと、それくらいにしてやってくれ……落ち込むと、長い」

口喧嘩で負けた楸瑛の愚痴をいつも聞かされる迅はこの後の苦労にため息をついた。