拾った少年は悪夢にうなされているようで、額に汗を滲ませて呻き声をあげていた。 「お熱下がらないね」 「そうだね。でも朝より少しだけ良くなってるよ」 秀麗と二人、看病していたは少年の額に手を当てて、熱を計る。 「感染症も起こしてないし、体力が戻れば元気になるって父様が言ってたよ」 「汗をかかせてあげなきゃいけないのよね」 「うん、今晩は野宿になりそうだけど、暖かくしてあげなきゃ」 せっせと二人で毛布を少年の上に積んでいく。 幌の隙間から吹き込む風を遮断して、二人は少年の目が開くのを待った。 街道沿いの林の中で火を熾して野宿の用意をしていた時、少年が身じろいだ。 その横に座って地面に絵を描いていた秀麗が、病人を刺激しないように小さな声で皆の注意を引きつける。 駆け寄った両親に続いて、もよちよちと歩いて秀麗の横に座る。 「う………っ」 秀麗は長い睫が震えて、綺麗な瞳が現れるのを見た。 少年は虚ろに視線をさまよわせたあと、自分を覗き込んでいる4人の家族に気がついた。 体を起こそうとしたのか、全身の筋肉が強張ったが、結局指一本動かすことのないまま弛緩した。 「……………死なせてください」 少年の言葉に一家は顔を見合わせた後、母がそれを鼻で笑って拒否する。 「ほーお。残念じゃったのう。わらわはの、人の嫌がることが大好きなのじゃ。バッチリ治してやるゆえ、覚悟しておくのじゃな」 その翌日、一家は街の宿をとってしばらく少年の養生に時を費やした。 秋が終わり、じきに冬がやってくる。 行きと違って今は一路、王都貴陽を目指していた。 少年は動けるようになると無理にでも立ち上がって幾度となく立ち去ろうとした。 邵可は何気なさを装って連れ戻し、秀麗は衣服を掴んだまま眠りにつき、母は主治医を主張して病床から出ないように見張らせた。 かつては至高の地位にあった名を捨てた少年は一家に「こども」「キミ」「お兄ちゃん」などと呼ばれていた。 夜中、はっと目を覚まして体を起こす少年。 まただ、と額を伝う汗を拭って、嫌な光景を頭から振り払う。 夢の中の白と違い、あたりは真っ暗闇だった。 掛けられた布の下、手のあたる位置に子供の体温を感じ、少年は思わず手を引いた。 恐る恐る布を捲ってみると、少年を拾った一家の子供、恐らく女の子の方が少年の袖を握りしめて眠っている。 その指をそっと解いて布をかけ直してやると、寒いのか小さく丸まった。 なんなんだ、この一家は、と思いつつ、何度目かの脱走を試みる少年。 まだ本調子でない体を叱咤して、窓から出ようとすると、脚が何か細いものに触れて鈴の音が静寂に響いた。 はっ、と身を固くした少年だが、誰も起きてくる気配はない。 ほっと胸をなで下ろして少年は身を翻す。 「ねえ」 「!」 いきなり声をかけられた。 朔の日の今日は月もなく、明かりなしで音もなく移動するなど出来るはずがない。 この闇では、少年ですら周りが見れないのだ。 声の主は足音もなく、少年に近寄ってくる。 所々にある調度品にも荷物にもぶつかることはなく。 「駄目だよ。母様が完治って言ってないから」 子供の幼い声。 しかし口調は大人のそれ。 その違和感に少年は声の主が一家の息子であることを悟った。 一歳かそこら、やっと首が座って歩けるようになったばかりのような子供は、流暢な言葉で少年に話しかけて驚かした。 一家の誰もが不思議がっていないのには呆れたものだ。 「まったく、懲りないね」 てくてくと少年の横に来ると窓の縁のそばでなにやらごそごそし、何度か鈴の音が鳴った。 それが少年を逃さないための仕掛けと知った少年はばっかり一家の徹底ぶりに思わず呆れ顔になった。 「あ、これは僕が勝手にやったことだから」 訂正。 一家の息子の周到さに。 「朔の日じゃなきゃ気付かれちゃうけどね」 明かりつけていいよ、見えないでしょ。 そういって子供は少年の手に手燭と火打ち石を押し付けた。 この暗闇で特に探す素振りもなくどうやって見つけたんだろう、と不思議に思いながら少年は火を灯す。 ぼんやりと明るい光が部屋を照らして、寝台で眠る幼女と少年の膝くらいまでしかない幼児が少年の目に写る。 子供の手には細い紐と輪のついた鈴が回収されていた。 「ああ、僕、ね。」 少年の手に指で書いたは手近な荷物に腰掛ける。 ぽんぽん、と前の荷物を叩いて座るように促す。 「返したいものがあるんだ」 ごそごそと懐を探って目当てのものを見つければ、それを少年に見せる。 ピクッと少年が身じろぎしたのを感じ取って、少年の手にそれ――――まだらに汚れたお手玉を乗せた。 「大切な、物なんでしょ?ずっと、握っていたんだって。姉様が落ちないように懐に入れておいてくれたけど、父様に言われて僕が預かったの」 少年はやわやわと指先に力を込め、きつく握りしめた。 一言も発しない少年に気分を害するわけでもなく、言葉を続ける。 「誰にでも大切なものはあるよ。有形無形関わらず。思い出、誇り、記念品、人。人はそれをかけがえのないものとして、生きるための支えとして失わないように必死だ」 とつとつと語る幼子に少年は薄ら寒いものを感じる。 一家の主と同じく、開いているのか閉じているのかわからない糸目で、幼子は少年に顔を向けた。 「また、それは時に人を暗闇の外に繋げる唯一の道標でもある」 難しいねぇ、と言っては荷物に倒れこむ。 しかし、その口調は全く難しいとは思っていないと少年は察した。 まるで自分の心など、思案せずとも知れる、といったように。 「僕も大切なものあるよ。家族は紅につながる道標、琵琶は僕に――――“私”に繋がっているんです」 手燭の火が開いた窓から浮きこんだ風に吹き消える。 眼前に光の残像が揺れてから、少年は再び視界を奪われた。 すたっと立ち上がったは少年の傍をすりぬけて、窓を閉じる。 「疲れたね、寝よう」 少年の手を引いて寝台まで導いて、自分も毛布に潜り込みながら少年を促す。 「ほら、入って。朝までまだ時間あるよ」 これっぽちも自分の寝台に戻る気のないを相変わらず人形のような無表情で見つめた少年は、寝台から少し離れたところに膝を立てて腰を下ろした。 鞘から抜かれた刃のような雰囲気を保ったまま、少年は瞼を落とした。 翌朝、はっと目を開いた少年は自分がちゃんと寝台に眠っていることに驚いた。 もう朝日が差し込む時刻のようで、明るい室内で自分の両脇に温かい体温の子供が寝ているのを感じる。 慌てて飛び起きた少年の音に気付いたのか、一家の主が部屋に入ってきた。 「ああ、起きたんだね。夜中話し声がして起きてみるとキミが床で寝ていたからびっくりしたよ。秀麗とが寝台を使っていたけど二人となら狭くないだろうと思って寝かせておいたから」 「何じゃ、完治もしておらぬのに床に寝ようとするなど間抜けじゃ、間抜け。子供の体温は高いからの、湯たんぽ代わりにでもしておくがよい」 確かにどちらもぬくぬくと温かい。 自分も幼いころはこうであっただろうに、このぬくもりが自分とは遠くかけ離れたものに感じて、少年は内心ますます出ていく決意を固めていた。 その横顔を見る夫妻は、やれやれといった様子でため息をついた。 ある日、少年が再び抜け出そうとした。 なんと、今回それに一番に気付いたのは秀麗だった。 窓から抜け出した少年を追いかけて飛び降りた秀麗は、一階とはいえ子供にとっては十分な高さを持つそこからべしゃっと落下した。 まだゆっくり歩くのが精一杯の少年に、秀麗を抱き起しに戻る力はなく、その場で膝をついてしまった。 「姉様、どこ?」 室内から姉を求めて探すの声。 秀麗はそれに答えず、今まさに抜け出そうとしていた少年の足にしがみついた。 「あたしは強いこだもん。泣かないもん。泣いてたら、そのすきにお兄ちゃんどっかいっちゃうもん。だから泣かないもん」 とか言いつつ、眦には光るものが溜まっていく。 「いっちゃダメなんだもん。お兄ちゃんまだ幽霊みたいな顔してるもん。一言もしゃべってないもん。いっかいも笑ってないもん。だからダメなんだもん」 そう言い切ると、わぁわぁ泣き始める。 声を聞きつけてか、も窓から顔を出す。 如何せん、子供の体。 簡単に体勢を崩したは秀麗同様、窓の外に落下した。 ごぃん。 痛そうな音が聞こえて、はしばらく動かない。 「何じゃ、秀麗ももここにおったのか」 邵可と薔君が窓から外に出てきてを拾いあげる。 「頭の中ですごい音した………」 すぐさまぷっくりとコブになり始めた額を見て、薔君はぺしっと叩いて一笑する。 「コブが出来れば大丈夫じゃ」 内心、ヒドイ、と思ったであったが大人しく口を噤む。 「それよりもおぬしじゃ、おぬし」 足にセミのように秀麗をはりつかせた少年を見て、を邵可に預けると少年の頬をぎゅうぎゅうつねり始める。 「秀麗の言う通りじゃ。おぬしは 「あの、父様冷やすもの…………」 「ぼちぼち名前をつけようか。そしたら、うちの家族になるしかない」 「それはよい考えじゃ。持ち物に名前を書くと自分のものになるのがこの渡世」 「あの、冷やすの」 の訴えを余所にいつの間にか話が進んで少年の名前を決めている。 「そーじゃのお。では、せいらん、はどうじゃ。うむ、静蘭。静かな蘭。我ながらバッチリじゃ」 ここで父が慌ててを地面におろして妻を引き寄せ、小声で盛大にケチをつける。 ちなみにの耳はバッチリ二人の会話を拾っていた。 (何いってんだ君は!元の名とほっとんど変わってないじゃないか。セイエンとセイランなんて一字しか違わないだろうが。もっと考えてつけろ!!何がバッチリだ) 「うるさいわ!いいからそなたは名字を考えろ」 「え?私が?名字?考えるの?名字…し、し……茈…静蘭、とか。どうかな!」 (ばかはおぬしじゃアホタレ!!元の紫を堂々とパクリおってからに!紫清苑と茈静蘭なんてどこが違うんじゃ!将来出仕でもしたら一発でばれるではないかこの糸目が!) (き、君が急に振るからだ!) (なにおぅ、このトンチキ男が!) 小声で言い争っていることをえ全部聞き取り、少年の事情まで大体察したは納得した。 が下した結論、どっちもどっちだ。 それよりも痛い。 「あの、冷や…………やっぱ、いいよ」 諦めの溜息をついて、腫れた額をそっと撫でる。 「決めたぞ。そなたの名は、茈静蘭じゃ」 輝かしい笑みを浮かべた薔君を、少年――――静蘭は眩しそうに見上げた。 |
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