藍州の関所を、騎馬から降りないまま『双龍蓮泉』で素通りしたは茶州に向かっていた。 創喜が言っていた宿屋にまだ居るとは思わないが、何か手がかりは残っているかもしれない。 藍州から茶州まではまったく平和な旅だった。 ここまでですでに二ヶ月が経ってしまったが、見聞に関しては随分広められたように思う。 この先も何事もなく旅できると思ったのだが。 「随分、治安が悪いんだなァ」 茶州が茶家の独裁によって王が関与する隙間がなく、発展・治安ともに藍州とは比べものにならないのは知っていたが予想以上だ。 下町でもない街中を馬引いて歩いているだけで恐喝にあうとは。 「おい、坊主。人の話無視するのはよくないな」 「ただお前の懐の中身を俺らにちょいと譲ってくれりゃあいいんだよ」 どこの時代、いや世界も破落戸やチンピラは似たり寄ったりなようだ。 返事をしないにじれた様子の破落戸は、目の前の金の匂いがするカモの肩を掴んだ。 いや、掴もうとした。 ぐるん、と破落戸の体が前に一回転して地面に背中から叩きつけられる。 その脇腹に容赦ない蹴りが入って、続いて鳩尾に踵が落とされる。 「ぐ………がっ……!」 白目を剥いて悶絶する男をよそに、は短髪を掻きあげて首をコキコキ鳴らした。 「ひい、ふう、みい、よー、いつ。全部で五人か、軽いな。…………来い」 相手は今のところ得物を抜いていない。 だからも抜かない。 まだ。 一人二人と投げ飛ばして、とうとう刃物を取り出した三人目に、も自分の剣を鞘走らす。 相手の剣は刃を合わせた一合目で砕け散った。 「………………うそ」 「次からは脅しでももうちょっと高いモン使いな!」 さっと手首を返して剣の腹で殴打する。 年相応に体格がいいとは言え、まだ少年のの一撃で大の大人が一瞬浮く。 残りの破落戸が手をだしてはいけない人物に絡んでしまったことを自覚した時には、その意識は刈り取られていた。 結局、剣は抜いたものの、誰一人斬ることなく終わってしまったは道の真ん中に積み上げた破落戸を容赦なく足蹴にする。 「…………州府に連れてくの面倒だな。おい、お前ら自分で立って歩け」 野次馬根性でその様子を眺めていた人々は、何て理不尽な、と破落戸たちが哀れになった。 「お、少年、ごくろーさん」 人垣を割ってに駆け寄った、より幾らか年上の少年は、地面に伸びている破落戸たちに手早く縄をかけていく。 「州武官か?」 自分で口に出してみたものの、格好からしてそうは見えない。 「いや、街中の用心棒みたいなものと言うか」 「なら、さっさと助けろ」 「手伝おうかと思ったけどさー、なんか随分手慣れてるから任せちゃえって思って」 にっ、と笑ったその顔は太陽のような明るさをたたえていた。 とは系統の違う野性的な美貌に、目の下の十字傷が印象的だ。 「一応お礼はするよ?ツケで」 「ツケか!」 ぐきゅるー。 思わず突っ込んだの声に続くようにして、少年の腹が盛大に鳴った。 「……………もしかして文無しか?」 「文無しどころか赤字証文だらけです…………」 「メシは?」 「昨日の夜が最後…………。ばっちゃんの鬼教育と破落戸の相手、その他もろもろに追われてたから…………」 空を見上げると太陽はとっくに頂点を越えている。 「来いよ、俺もメシにするところだ」 空腹で意気消沈している少年を促して、破落戸達は後から来た本物の州武官に任せ、街の往来を抜けた。 馬を預かってくれる厩がある食事処となると、相応に高級な店になる。 それを知らないのか、少年は遠慮なく次から次へと注文し、よりも多く食べた。 「お前、実は三日食べてません的なノリじゃないだろうな?」 「いや、本当に二食だけど…………?」 は少年の食欲を胃袋の違いと決めつけることにした。 なんだか周りの客に注目されている気がするのだが、それはと燕青の美貌のためと思うことにする。 目の前の少年に視線を戻すと、少年はにっと笑んで銜え箸をしながら話しだす。 「あ、俺は浪燕青。少年は?」 「藍。お前口の中のもの飲み込んでからしゃべれよ」 モグモグと口一杯に菜をいれた状態の燕青にあきれたように言う。 「藍家かあ、やっぱりな」 「やっぱり?」 何となく予想がついていたように返されて、は眉根を上げる。 「いや、って口は悪いのに食事の仕方は俺の知ってる茶家の人みたいに上品だし、身なりとかも超高級品だし、関塞から藍家直紋の木簡を持った子供が通ったって連絡があったからな〜」 意外と勘の鋭い男のようだ。 挙げた情報だけではを藍家と特定できる物は何も無い。 それに、面白いことを聞かせてくれた。 「ふん、じゃあお前は次期茶州州牧候補といったところか」 「そうそう――――ってええぇっ!?」 がさらりと言った言葉に燕青は飲みかけたお茶を吹き出して驚いた。 反射神経の賜物では飛沫をかわしている。 「お前、ボロボロ情報出し過ぎだ。街中の用心棒に関塞から連絡行くわけがないだろう。そういうのは州府に行くものだ。かと言って州府の文官ではなさそうだし、州武官も自身で否定している。が州府に出入り可能な人物」 ちら、と燕青に視線を投げると真面目な顔をして聞いていたので話を続ける。 「茶家の人間の食事の様子を見るほど近しく、しかし茶家の人間ではない。ばっちゃんとは茶家で言えば現当主茶鴛洵殿の奥方、英姫殿と考えるが妥当だろう。英姫殿に教育を受けて一州官を目指すような小物のワケがない。それにお前はかなり強い。州府に対する茶家の圧力が強いこの茶州で州牧を勤めるのは、並みの文官には無理だと兄に聞いた。明らか肉体派に見えるお前に鴛洵殿、英姫殿が学をつけるなら茶州府において最も文武両道が求められる州牧の他ない」 まあ、可能性大というだけで十割の証拠はないがな。 そう付け加えたは喋りすぎで渇いた喉を茶で潤す。 燕青は頭を掻きながら驚いたな、と苦笑いを浮かべる。 燕青は確かに次期茶州州牧候補として教育されている。 八州の中でも最も豊かと言われる藍州のこともある程度教えられた。 藍家と言えば国一番の貴族、興味本位で近付いたらあっという間に相手に全て言い当てられてしまった。 しかも腹の内で黙っているんじゃなくて本人相手に論拠をズバズバ言うところが何とも心地よい。 「話している間にそんな事考えてんのかよ。俺はダメ、バカだから右から左に抜けてくもん」 「それでいいのか、お前十四、五だろう」 しかも州牧候補。 呆れたに、燕青がはははと大笑いする。 「も、十五くらいか?」 「いや、十」 「へ?」 「だから十歳」 燕青が押し黙り、の茶を啜る音が間に流れる。 「大丈夫!老け顔だなんて言わないぜ!」 「それは言ってるのと同じだろうが、この野郎」 親指を立てて、明るく告げる燕青。 額に青筋を浮かべたがけっ、とやさぐれて告げると、何が面白いのか、燕青はまた笑った。 二人ともそれぞれ満足するまで食べて、席をたった。 「ごちそーさん!」 しっかりの三倍ほど平らげた燕青に、は呆れて物も言えない。 まあ、これ如きで軽くなるような財布ではないから、別にいいのだが。 「お前、食費をツケにし過ぎて借金したんじゃないのか」 「うっ!当たってる、でも正確には俺の借金じゃなくて師匠の肩代わり!」 師匠に押し付けられたという数々の借金を並べたてる燕青に苦笑したは、厩から引き出した馬に鞍を置いて出発の準備を始める。 「目的地は?」 「ない。人探しだからな。彩雲国全土、廻ってみるさ」 鐙に足をかけて馬に飛び乗ると、一度だけ燕青を振り返って一言。 「お前、頑張れよ。中途半端に生きるな、引き受けたなら本気でやれ」 説教じみた言葉を残して、燕青の返事も聞かぬまま、馬は軽やかに走り始めた。 街の往来に残された燕青は困ったように頬を掻いて、しょうがねえなと満更でも無さそうに教育係がいる邸に向かった。 茶州であらかたの話を聞いたが次に目指すのは隣接する黒州。 「と言っても千里山脈は越えれないらしいしな」 茶州と黒州を分断する千里山脈は未だかつて蒼玄王しか越えたことがないらしい。 ただ険しいだけなのか、それとも九彩江のように呪術的な何かがあるのか。 原因は定かではないが、越えられないと言われたものを無理に目指すほど、は馬鹿ではない。 「となると山裾を通って…………結構遠回りだな、茶州が閉鎖的なのはこれも原因か」 現代ほど精巧でない墨画の地図を片手に、は人気のない道を一人馬で進む。 と、馬が突然立ち止まり、ブルル………と鼻息荒くその場で脚を踏みならした。 「趨駿、どうした?」 司馬家が躾けたのを買い取った趨駿は、脚も速く、少々気性が荒いが忠実な馬だ。 主の命なく勝手に休んだりなどしない。 様子がおかしい趨駿を見て、も周りの気配を探ってみる。 木々に紛れて、気配がある。 それも限りなく薄い気配で、場所と数はわからない。 ただのチンピラとは思えなかった。 趨駿が立ち止まったのを考えると、退路は塞がれているようだ。 相手が何者かは分からないが、狙われてるなら無抵抗にやられるわけにはいかなかった。 馬から飛び降りて、手綱を放す。 いざという時、馬がやられたら逃げようにも逃げられない。 ヒュッ、と風切り音が聞こえた。 斜め後ろから飛んできた矢を剣で叩き落とし、姿を見せない兇手に警戒する。 前世の自分では考えられないほど、こういう事態に落ち着いている。 更に降り注いだクナイを剣で弾いて、声を上げる。 「飛び道具じゃ何時まで経っても俺を殺せねぇぞ」 拾い上げたクナイを、もと来た方角に投げつける。 トス、と軽い音がして幹に突き立った。 ザッ、と茂みを越えて一瞬でを取り囲む兇手たち。 数はあの破落戸と同じ五人、だが訓練された動きは比べものにならない。 義務的な殺意を受けて、の顔が強張った。 は右手に剣を提げたまま、相手も湾曲した暗殺刀を持ったまま、動かない。 はしばらく敵を見つめた後に、ああ、と合点が行ったように頷く。 「お前ら、茶家の影か」 兇手たちからは何の反応も得られなかったが、の中では既に確信していた。 茶家に対抗せんとして教育されている燕青。 破落戸と『その他諸々』。 それに接触した藍家直系。 簡単な構図だ。 それにしても――――。 「殺せば済むって本当に思ってんのかねぇ」 藍家直系に手をかける事が何を意味するか分かっているのだろうか。 それとも藍の茶州入りから抹消するつもりか。 「さて」 が体を半身にして剣先を下に向ける。 一見無防備にも見えるその姿勢に、兇手は一斉に斬り込んで来た。 先頭の剣を下から上への振りで払い上げた後、それは逆に相手を袈裟切りに切り裂く。 いくら切れ味の良い剣でも肉を裂く感触は手に伝わる。 顔を顰めて、これ以上ないほど嫌な顔をして――――それでもは剣から手を放さなかった。 流石に鍛え抜かれた兇手五人相手にはキツい。 ほんの少し、疲れて力を抜いてしまった右半身。 脇腹に、湾曲した刀が沈む。 「ち、い……………ッ!」 力任せに自分の腹にその刀身の全てを沈めんとする刀目掛けて剣を突き入れた。 ガキッ、と嫌な音がして、鍔のないその刀が折れる。 飛びすさって距離を取った。 あとほんの一瞬遅ければ内臓まで突き通されていた。 腹に残った刀身を抜くと、内部にまで衝撃が伝わったようで、ヒビが入って欠けていた。 流れ出した血がすぐに右半身の衣服を染め上げる。 今すぐの致命傷ではないが、この出血量で動き回るのは些か無理がある。 どうする、となお冷静な頭が打開策を模索し始めた時、兇手の一人の首が飛んだ。 続いて一人、二人とそれは骸となって地に伏せていく。 一方的な殺戮を前にして、は剣を放り出して膝をついた。 「遅ぇ」 五人全てが事切れた時に、黒服の男――――藍家の影がの前に膝をつく。 「申し訳ございません」 影はが茶州時期州牧に接触したということを藍家の三つ子に報告を送るために、ほんの一時、傍を離れていた。 三つ子がこの影に下した命は、「自身の力量で不可能と判断し、命の危険がある時のみ、手を出すことを許可する。それ以外の場合は一切の援助をしないこと」だ。 今回の場合、まさにその条件に値するものだ。 影はの傍に寄ると、衣を脱がせて傷口を確認する。 血の止まる様子がない傷口を見て、覆い隠された顔の中で唯一覗く目が険しくなった。 そんな影の様子に汗の滲んだ顔で苦笑し、傷口を庇いながらゆっくりと立ち上がる。 「取り敢えず、宿に向かう。此処から離れるぞ。熱湯と酒、針と糸を調達する。…………これは戦闘中に気ぃ抜いた俺の失態だ。兄貴たちにお前の責ではないって文出しといてやるよ」 影は押し黙って答えない。 それに気分を害するでもなく、は離れた所に立っている趨駿を手招きする。 賢い趨駿はのもとまで来て、その鼻面を頭に押し付けた。 「さて。たぶん今は命の危険に含まれると思うから、趨駿に乗せてどっかの宿に連れて行ってくれると嬉しい」 抱えられて(かなり力持ちだな、オイ)趨駿の鞍に乗せられると、後ろにひらりと飛び乗った影が手綱を取って揺れも少なく馬を走らせた。 何とも幸先の悪い旅に、は泣きたくなってきた。 |
![]() |
![]() |
![]() |